「るような根本の問題にはなんの役にも立たないものである。だれかこの疑問に対して自分のふに落ちるような解釈をしてくれる人はないものだろうか。たとえばいわゆる共産主義を論じる学者たちが現在の社会に行なわれているこの万引きというものをいかに取り扱うかが聞きたいものである。
三越へ来て、数千円の帯地や数百円の指輪を見たり、あるいは万引きの事を考えたりしているとだれかが言った寝言のようななぞのような言葉に、多少の意味があるような気がする。「富む事は美徳である。富者はその美徳をあまり多く享有する事の罪を自覚するがゆえに、その贖罪《しょくざい》のために種々の痴呆《ちほう》を敢行して安心を求めんとする。貧乏は悪徳である、貧者はその自覚の抑圧に苦しみ、富の美徳を獲得せんと焦慮するために働きあるいは盗み奪う……」
呉服の地質の種類や品位については全く無知識な自分も、染織の色彩や図案に対しては多少の興味がある。それで注意して見ると、近ごろ特に欧州大戦が始まって後に、三越などで見かける染物の色彩が妙に変わって来たような気がする。ある人は近ごろはこんな色が流行すると言った。しかしある人はまた戦争のために染料が欠乏したからよんどころなくあんな物ばかり製造しているのだとも言った。もしこの二人のいう事がどちらもほんとうであるとすると、われわれの趣味や好尚《こうしょう》は存外外面的な事情によって自由に簡単に支配されうるものだと思う。もし試みに十年ぐらいの期間でもいいから、あらゆる染料の製造と販売と使用を停止してみたら、われわれの社会的生活にどんな影響が生じるだろう。実行はむつかしいが、こういう仮設を前提として一つの思考実験を行なってみる事は、はなはだおもしろくもあり有益でありはしまいか。もっともそんな事はもう社会学者や経済学者たちがとうの昔にやってやり古した事かもしれない。たぶんそうだろうと思われる。そうでなくては成り立ちそうもない学説やイズムがわれわれの目に触れるほどだから。
三越の四階に食堂がある、たしか以前は小さな室であったのが、その後拡張されて今のような大きな部屋《へや》になったと思う。ちょっと清潔に簡便に食欲を満足させ、そうして時間をつぶすに適当なようにできている。普通の日本人の食事時間でない時でも不断ににぎわっている。草花鉢《くさばなばち》を飾ったり、夏は花を封じ込めた氷塊がいくつ
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