生ずるだろう。……この弊を矯《た》めるには演奏会で受けた感動を、その後に何か主動的な方法で表現しないではおかないという習慣をつければいい。それはどんな些細《ささい》な事でもかまわない。たとえば自分の祖母にやさしい言葉をかけるとか、乗合馬車で座席を譲るとかいうくらいな事でもいいが、とにかく何かしないではおかないようにするがいい」という一節がある。これを読んだ時になるほどと思った。昔から世界のいろいろな人種の間に行なわれた禁欲主義の根本に横たわる一面の真理に触れているとも思った。しかし美しい芸術が人の心に及ぼす影響はすぐその場で手っ取り早く具体的な自覚的行為に両替して、それで済まされるものだろうか。それではあまりに物足りない。たとえ音楽会の帰りに電車の中でけんかをし、宅《うち》へ帰って家族をしかったりする事があるとしても、その日の音楽から受けた無自覚な影響が、後に思いもかけない機会に、ある積極的な効果として現われる場合がかなり多いのではあるまいか。これは自分にとってはかなりに痛切な問題であるが、まだ充分ふに落ちるような解釈に到着する事ができない。
 丸善の二階の北側の壁には窓がなくて、そこには文学や芸術に関する書籍が高い所から足もとまでぎっしり詰まっている。文学書では、どちらかと言えば近代の人気作家のものが多くてそれらが最も目につきやすい所に並んでいる。中学時代にわれわれが多く耳にしたような著名な作家の名前はここではあまり目に立たない。ちょうど西洋の画廊で古い絵ばかり見て、日本へ帰って始めてキュービストやフュチュリストを見せられたような心持ちがする事がある。実際今の日本の文学者の前でホーマーとかミルトンとかいう名前を持ち出すのはだれでも気がひける事だろうと思う。文学に限らず科学の方面でも今どきベーコンやニュートンの書いたものを読むのは気がさすような周囲の状態である。古いものを新しい目で見るのや、新しいものを古い目で見るような暇つぶしの仕事は、忙しい今の時代には、暇人の道楽でなければ、能率の少ない事業として捨てられなければならないと見える。
 Everyman's Library などのぎっしり詰まった棚《たな》が孤立して屏風《びょうぶ》のように立っている。自分がいちばん多く買い物をするのはまずここらである。実際こんなありがたい叢書《そうしょ》はない。容易に手に入らないか
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