Aさもなければ高い金を払わなければならない物が安く得られるのである。戦争のために、この本の代価までが倍に近く引き上げられた事は、自分ばかりでなく多数の人の痛切に感じる損失であろうと思う。
 この叢書の表紙の裏を見ると“Everyman, I will go with thee and be thy guide in thy most need to go by thy side.”という文句がしるされてある。この言葉は今日のいわゆる専門主義《スペシアリズム》の鉄門で閉ざされた囲いの中へはあまりよくは聞こえない。聞こえてもそれはややもすれば悪魔の誘惑する声としか聞かれないかもしれない。それだから丸善の二階でも各専門の書物は高い立派なガラス張りの戸棚《とだな》から傲然《ごうぜん》として見おろしている。片すみに小さくなっているむき出しの安っぽい棚《たな》の中に窮屈そうにこの叢書《そうしょ》が置かれている。
 たとえば、昔の人は、見晴らしのいい丘の頂に建てられた小屋の中に雑居して、四方の窓から自由に外をながめていた。今では広大な建築が、たくさんの床と壁とで蜂《はち》の巣のように仕切られ、人々はめいめいの室のただ一つの窓から地平線のわずかな一部を見張っている。たださえ狭い眼界は度の強い望遠鏡でさらにせばめられる。これらの人のために、この大建築から離れた所に、小さな小亭《しょうてい》が建てられている。ここへ来れば自分の住まっている建築が目ざわりにならずに、自由に四方が見渡される。しかるにせっかく建てたこの小亭があまり利用されないでいたずらに風雨にさらされているとすればこれは惜しい事である。これは人々があまり忙し過ぎるせいかもしれない。そうだとすればこれらの人々を駆使している家主が責任を負わなければなるまい。しかし中には暇はあっても不精であったり、またわざわざ出かけるよりも室の片すみで茶をのんだりカルタでもやるほうがいいという人があるならばそれはその人々の勝手である。
 この叢書のへんまで見て来るとかなりくたびれる。特にここで何か買いでもすると、もう急に根気がなくなって地理や歴史などの所はほんののぞいて見るだけでおしまいにする場合が多い。決してこの方面の書物に興味がないわけではないが、ただ自然に習慣となった道順の最後になるために、いつでもここが粗略になるのである。一度ぐらいは、こ
前へ 次へ
全17ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング