「まだ暖かいわ」と言いながら愛撫《あいぶ》していたがどうにもならなかった。
 鳥の先祖の時代にはガラスというものはこの世界になかった。ガラス戸というものができてから今日までの年月は鳥に「ガラス教育」を施すにはあまりに短かった。
 人間の行路にもやはりこの「ガラス戸」のようなものがある。失敗する人はみんな眼の前の「ガラス」を見そこなって鼻柱を折る人である。
 三原山火口へ投身する人の大部分がそうである。またナポレオンもウィルヘルム第二世もそうであった。
 この「ガラス」の見えない人たちの独裁下に踊る国家はあぶなくて見ていられない。
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 隣家に犬がいる。戸外へは出さないらしいので姿は一度も見たことがない。夜中にほえている声から判断すると相当|体躯《たいく》の大きな堂々たる犬らしい。ところが、この犬が時々不思議な鳴き方をする。人間が何か泣きごとでもいっているかと思うような声を出すかと思うと、首でも締めて殺されかかっているのかと思うような悲鳴を上げる。そうかと思うとかんしゃくが起こってくやしがってきゅうきゅういっているような奇妙な声を出す。だんだん気をつけてみるとそういう不思議な鳴き方をするのは、ほとんどきまって豆腐屋のラッパが遠くから聞こえてだんだん近よって来るときか、またはたぶん豆腐屋であろうかチリンチリンと鈴を鳴らしながら前を通るときであるらしい。どういうわけか知らないが、そのラッパや鈴の音を聞くと、堪えがたい恐怖か憤懣がこの犬の脳神経中枢をいらだたせるものと思われる。
 生理学のほうで「条件反射」という現象がある。この犬の場合はあるいはその一例かもわからない。まだ小さい時分に何かしら同じような音響のする場所でたびたびひどい目に遇った経験の記憶が、この動物の脳髄に焼き付けられたように印象されているのかもわからない。
 それともまた、この犬は何か耳の病気があって、ある一定の高さの音がとくに鋭く病的にその聴覚を刺戟するのかもしれない。これはただ犬の話であるが、われわれ人間でもよく考えてみるとこれとよく似た現象がいくらでもあるらしい。そこらの花盛りを見て心が浮き立ったり、秋の月を見て物を思わされたりするのもその一例であるが、これらは国民全体に共通な教育による「条件反射」のようなものである。しかしもっと特殊な例としては、芋虫を見るとからだがすくんでしまう人や、蜘蛛《くも》がはい出すと顔色を変えるようなのもある。中学時代の同窓で少し強い風の吹く日にはこわくて一歩も外へ出られないのがあったが、その男はまもなく病死してしまった。やはりどこか「弱い」ところがあったのかもしれない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十日)
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 友人の科学者で陶器を作るのを道楽にしている男がある。自分の邸内に窯《かま》を造って専門の職人を雇い込んで本式にやっている。御当人はもちろんであるが、その細君もまたおかあさんもそれぞれ熱心なアマチュア芸術家である。このあいだその友人が大きなふろしき包みをかかえて飛び込んで来た。新聞紙で包んだものを取り出すのを見ると、この家庭芸術家三人の作品のたぶん代表的なものであろう、分厚で長方形のシガレットケース――これは科学者の作、それから半月形の灰皿――これは美しい令夫人の作、それから手どく[#「手どく」に傍点]で白釉《はくゆう》に碧緑《へきりょく》の色を流した花瓶――これは母堂の作である。
 今病床の脇の小卓の上にこの三つの陶器がのせてあるのをつくづくながめていると、この三つの作品のそれぞれの個性がだんだんにはっきり眼についてくる。角箱には鼻っ張りの強い負けぎらいの気性とオリジナルで鋭いしかもデリケートな才能の動きが地味な褐色の釉薬の底から浮き出しているといったようなところがある。
 灰皿のほうは肉の薄味、線の丸さ、波形の縁《へり》のうねり、その他どう見ても優しいそうして濃まやかな感じの持ち主の手になったものとしか思われない。
 花瓶のほうをよく見ていると手づくねの筒形の胴の表面の彎曲《わんきょく》、釉薬の自然な斑模様《まだらもよう》、そういったもののきわめて複雑な変化の中に、いかにも世の中の苦労という苦労を舐め尽くして来たかのような、しかもいかにも女らしい一種の心ばえのようなものがありありと読みとられるようである。
 これではうっかり団子も丸められない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十日)
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 辻待ちの円タク、たとえば曙町まで五十銭で行かないかというと、返事をしないでいきなりそっぽを向いてしまうのがある。いやな顔をしてきわめてゆっくりかぶりを振るのもある。それからまたにこにこと愛嬌笑いをしてもう十銭やってくださいといいながらドアに手をかけてインヴァイトするのがある。
 前者はペシミストであり、後者はオプチミストであるともいわれる。しかしまた全くその反対だともいわれる。
 いつか上野駅の向かい側のある路地の自動車停留場で、いちばん先頭の車の運転手に例のとおり曙町まで五十銭で行かないかといったら、あまり人相のよくないその男は「イカネエ」と強い意味をその横にひん曲げた口許に表示したかと思うと、いきなりエンジンをスタートして走り出した。そうして獲物をねらう鷹のような鋭い目を集注しているその視線の行く手を追跡してみると、すぐにその焦点がはっきりされた。今上野駅から出て来たらしい東北出と思われる母娘《おやこ》連れがめいめいに大きなふろしき包みをかかえて、今や車道を横切ろうとしてあたりを見回しているところであった。
 この場合は悲劇的であるかもしれないが、またひどく喜劇的であるかもしれない。そんな事を考えながらスーツケースを右手にぶらさげてぶらぶらと山下のほうへより多く合理的な運転手を物色しながら歩いて行った事であった。[#地から1字上げ](昭和十年十月十日)
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 隣に栗の樹が一本ある。二十年前にここへ移って来たころには、まだいくらも隣の家の棟《むね》を越えないくらいの高さであった。それが年々に眼に見えるように伸び茂って、夏はこんもりした木蔭を作り、いっぱいに咲いた花がこちらの庭に散りこぼれ、やがて腐れて甘ずっぱいような香《におい》をみなぎらせた。秋が来ると笑《え》みこぼれた栗の実がこちらの庭へも落ちるのを、当時まだ小さかった子供らが喜んで拾いながら大声で騒いでいたら、やがてお隣からお盆にのせてたくさんな栗の実を持たせてよこした。家内じゅうは顔を見合わせてきまりの悪い思いをしたことであった。
 この栗の樹が近年になってなんとなく老衰の兆《きざし》を見せてきた。夏の繁りもなんとなくまばらで、栗の実の落ちる数も眼立って少なくなって来た。
 次第に悪くなる東京の空気のせいであるのか、それともこの樹の本来の寿命によるものか、どうだか自分にはわからない。
 とにかく栗の樹などというものは人間よりは長生きするものとばかり思っていたが、一概にそうでもなさそうである。[#地から1字上げ](昭和十年十月十一日)
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 住み家を新築したら細君が死んだという例が自分の知っている狭い範囲でも三つはある。立派な邸宅を新築してまもなく主人が死んでその家の始末に困っているという例を近ごろ二つ聞いた。
 しかし家を立ててだれも死ななかった例は相当たくさんにあるであろうから、厳密な統計的研究をした上でなければ「家を建てると人が死ぬ」というような漠然とした言明は全然無意味である。
 しかしまた考えてみると、家を建てると人が死ぬということも、解釈のしようによっては全然無意味だともいわれない。
 今まで借家|住居《ずまい》をしていた人が、自分の住宅を新築でもしようということは、その家庭の物質的のみならず精神的生活の眼立った時期を劃する一つの目標である。今までは生活の不如意に堪えながら側目《わきめ》もふらずに努力の一路を進んで来たのが、いくらかの成効に恵まれて少し心がゆるんでくる。そういう時期にこの住宅の新築という出来事が起こるという場合がしばしばある。そういう時にもしもその家の主婦が元来弱い人であり、どのみちそう長きをすることのできない人であったと仮定する。そうするとその主婦の今まで張り詰めていた心がやっとゆるむころには、その健康はもはや臨界点近くまでむしばまれていて、気のゆるむと同時に一時に発した疲れのために朽ち木のように倒れる。そういう場合もかなりありうるわけである。
 また従来すでに一通りの成効の道を進んで来た人が、いよいよ隠退でもして老後を楽しむために新しい邸宅でも構えようというような場合にも、やはり同じような事がいわれようかと思う。
 植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である。それとこれとは少しわけは違うがどこか似たところもないではない。
 いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なようであるが長生きの道はやはりこれ以外にはないようである。[#地から1字上げ](昭和十年十月十一日)
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 夜中にからだじゅうの痛む病気に罹《かか》って一晩じゅう安眠ができない。この広い世界のすべての存在が消えてしまって自分のからだの痛みだけが宇宙を占有し大千世界に瀰漫《びまん》しているような気がしている。夜が明けて繰りあけられた雨戸から空の光が流れ込む。ガラス障子越しに庭の楓《かえで》や檜《ひのき》のこずえが見え、隣の大きな栗の樹の散り残った葉が朝風にゆれていて、その向こういっぱいに秋晴れの空が広がっている。
 そういう時にどうしたわけかわからないが、別に悲しくもなんともないのに涙が眼の中にいっぱいに押し出してくる。
 学生時代に、アヘン喫煙者が中毒からくる恐ろしい悪夢のために悩まされていたのが、突然その夢がさめて現実にかえって、片方にいる人間の顔を見た時に、涙が止め度もなく流れたというくだりを読んだ記憶がある。
 悲しいときの涙、うれしいときの涙、その他いろいろな涙のほかにこうしたような不思議な涙がまだほかにもいろいろありそうな気がする。[#地から1字上げ](昭和十年十月十一日)
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 銀座のオリンピックで食事をしていたら、同じ食卓の向かい側に腰を掛けて何か食っていた中年の男が新たにパンを注文した。柔らかい六角のパンを持って来た女給に「これでない堅いやつを持って来い」といって、手まねでその形をして見せた。「フレンチロールですかコッペーですか。」「ああ、そのコッペーだ。」「焼いて持って参りましょうか。」「いや焼かないで持って来い。」やがてそのコッペーを皿に入れて持って来たら「ああやっぱり焼いて持って来てくれ」といってその皿をつきだした。
 こうした型の男はおそらくなんでもまめによく仕事をしまた世話のできる人であろう。おそらく嫁や養子の世話から相手の人のネクタイの世話までやく人かもしれない。しかし、「俳諧」のほうにはどうも不向きらしい。[#地から1字上げ](昭和十年十月十四日)
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 ある若い男の話である、青函連絡船《せいかんれんらくせん》のデッキの上で、飛びかわす海猫《うみねこ》の群れを見ていたら、その内の一羽が空中を飛行しながら片方の足でちょいちょいと頭の耳のへんを掻いていたというのである。どうも信じられない話だがといってみたが、とにかく掻いていたのだからしかたがないという。
 この話をその後いろいろの人に話してみたが、大概の人はこれを聞いて快い微笑をもらすようである。
 なぜだかわからない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十四日)
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 人体生理学や組織学の教科書の中に載せてあるいろいろな顕微鏡写真の標本には、しばしば死刑囚の身体のいろいろな部分から取ったものがある。
 この点だけから見ると、一生何一つ世間のために貢献することなし
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