、旅は大正昭和の今日、汽車自動車の便あればあるままに憂《う》くつらくさびしく、五十一歳の懐子《ふところご》には、まことによい浮世の手習いかと思えばまたおかしくもある。
 さるにても、山川の美しさは、春や秋のは言わばデパートメントの売り出しの陳列棚にもたとえつべく、今や晩冬の雪ようやく解けて、黄紫《おうし》赤褐《せきかつ》にいぶしをかけし天然の肌の美しさは、かえって王宮のゴブランにまさる。
 枯れ芝の中に花さく蕗《ふき》の薹《とう》を見いでて、何となしに物の哀れを感じ侍《はべ》る。
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自動車のほこり浴びても蕗の薹[#地から1字上げ](昭和三年四月、渋柿)
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       *

 公園劇場で「サーカス」という芝居を見た。
 曲馬の小屋の木戸口の光景を見せる場面がある。
 木戸口の横に、電気人形《アウトマーテン》に扮した役者が立っていて、人形の身振りをするのが真に迫るので、観客の喝采《かっさい》を博していた。
 くるりと回れ右をして、シルクハットを脱いで、またかぶって、左を向いて、眼玉を左右に動かしておいて、さて口をぱくぱくと動
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