、ベートーヴェンやドビュッシーを抛棄《ほうき》して、もう一度この祖先の声から出直さなければならないではないかという気がするのである。[#地から1字上げ](昭和二年七月、渋柿)
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「聊斎志異《りょうさいしい》」の中には、到るところに狐の化けたと称する女性が現われて来る。しかし、多くの場合に、それはみずから狐であると告白するだけで、ついに狐の姿を現わさずにすむのが多い。
ただその行為のどこかに超自然的な点があっても、それは智恵のたけた美女に打ち込んでいる愚かな善良な男の目を通して、そう見えたのだ、と解釈してしまえば、おのずから理解される場合がはなはだ多い。
それにもかかわらず、この書に現われたシナ民族には、立派にいわゆる「狐」なる超自然的なものが存在していて、おそらく今もなお存在しているにちがいない。
これはある意味でうらやむべき事でなければならない。
少なくも、そうでなかったとしたら、この書物の中の美しいものは大半消えてしまうのである。[#地から1字上げ](昭和二年九月、渋柿)
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糸瓜《へちま》をつくってみ
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