灌木《かんぼく》も、みんなきれいに樹皮をはがれて裸になって、小枝のもぎ取られた跡は房楊枝《ふさようじ》のように、またささらのようにそそけ立っていた。
それがまた、半ば泥に埋もれて、脱《のが》れ出ようともがいているようなのや、お互いにからみ合い、もつれ合って、最期の苦悶《くもん》の姿をそのままにとどめているようなのもある。
また、かろうじて橋杭にしがみついて、濁流に押し流されまいと戦っているようなのもある。
上流の谿谷《けいこく》の山崩れのために、生きながら埋められたおびただしい樹木が、豪雨のために洗い流され、押し流されて、ここまで来るうちに、とうとうこんな骸骨《がいこつ》のようなものになってしまったのであろう。
被服廠《ひふくしょう》の惨状を見ることを免れた私は、思わぬ所でこの恐ろしい「死骸の磧《かわら》」を見なければならなかったのである。[#地から1字上げ](大正十二年十二月、渋柿)
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ある日。
汽車のいちばん最後の客車に乗って、後端の戸口から線路を見渡した時に、夕日がちょうど線路の末のほうに沈んでしまって、わずかな雲に夕映えが残っていたので、鉄軌《レール》がそれに映じて金色の蛇のように輝き、もう暗くなりかけた地面に、くっきり二条の並行線を劃《かく》していた。
汽車の進むにつれて、おりおり線路のカーヴにかかる。
カーヴとカーヴとの間はまっすぐな直線である。
それが、多くは踏切の所から突然曲がり始める。
ほとんど一様な曲率で曲がって行っては、また突然直線に移る。
なるほど、こうするのが工事の上からは最も便利であろうと思って見ていた。
しかし、少なくもその時の私には、この、曲線と直線との継ぎはぎの鉄路が、なんとなく不自然で、ぎごちなく、また不安な感じを与えるのであった。
そうして、鉄道に沿うた、昔のままの街道の、いかにも自然な、美しく優雅な曲線を、またなつかしいもののように思ってながめるのであった。[#地から1字上げ](大正十三年一月、渋柿)
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震災後、久しぶりで銀座を歩いてみた。
いつのまにかバラックが軒を並べて、歳暮の店飾りをしている。
東側の人道には、以前のようにいろいろの露店が並び、西側にはやはり、新年用の盆栽を並べた葭簀張《よしずば》りも出ている。
歩き
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