ながら、店々に並べられた商品だけに注目して見ていると、地震前と同じ銀座のような気もする。
往来の人を見てもそうである。
してみると、銀座というものの「内容」は、つまりただ商品と往来の人とだけであって、ほかには何もなかったということになる。
それとも地震前の銀座が、やはり一種のバラック街に過ぎなかったということになるのかもしれない。[#地から1字上げ](大正十三年二月、渋柿)
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ルノアルの絵の好きな男がいた。
その男がある女に恋をした。
その女は、他人の眼からは、どうにも美人とは思われないような女であったが、どこかしら、ルノアルの描くあるタイプの女に似たところはあったのだそうである。
俳句をやらない人には、到底解することのできない自然界や人間界の美しさがあるであろうと思うが、このことと、このルノアルの女の話とは少し関係があるように思われる。[#地から1字上げ](大正十三年三月、渋柿)
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[#図3、挿し絵「裸婦」]
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夢の世界の可能性は、現実の世界の可能性の延長である。
どれほどに有りうべからざる事と思われるような夢中の事象でも、よくよく考えてみると、それはただ至極《しごく》平凡な可能性をほんの少しばかり変形しただけのものである。
してみると、事によると、夢の中で可能なあらゆる事が、人間百万年の未来には、みんな現実の可能性の中にはいって来るかもしれない。
もしそうだとすると、その百万年後の人たちの見る夢はどんなものであるか。
それは現在のわれわれの想像を超越したものであるに相違ない。[#地から1字上げ](大正十三年四月、渋柿)
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日本は地震国だと言って悲観する人もある。
しかし、いわゆる地震国でない国にも、まれにはなかなかの大地震の起こることはある。
そうして、日本ではとても見られないような大仕掛けの大地震が起こることもある。
一九〇六年のサンフランシスコ地震の時に生じた断層線の長さは四百五十キロメートルに達した。
一九二〇年のシナ甘粛省《かんしゅくしょう》の地震には十万人の死者を生じた。
考えてみると、日本のような国では、少しずつ、なしくずしに小仕掛けの地震を連発しているが、現在までのところで安全のように思われて
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