トル。食堂、社交室、喫煙室の壮大はもちろん、劇場、教会堂、水泳プールから保安警察のようなものまで具備している。全く掛け値なしに海上のビルディングである。
 数週前の同じ雑誌には大西洋横断旅客飛行機リュートナン・ドゥ・ヴェーソー・パリ号のことが出ていた。重量三七トン、動力五千三百馬力で、三四トンの荷物を積み、毎時一七五キロメートルないし二二〇キロメートルの速度で大西洋を無着陸で飛ぼうというのである。
 フランスに現在「世界一熱病」の流行していることがうかがわれる。
 日本もいろいろな精神的なことでは世界一を自信しているようであるが、科学とその応用方面でどれだけの自信があるか疑わしい。多くの方面ではむしろ反対に一生懸命「世界一」になることを忌避《きひ》しているのではないかと思われるふしがある。日本人の出した独創的な破天荒なイデーは国内では爆発物以上に危険視される。しかし同じ考えが西洋人によって実現され成効するのを見ると、はじめてやっと安心して、そろそろその成果の模倣をはじめる。「外国のに劣らぬものができた」というのが最高の誇りである。しかしそれができたころには外国ではもう次の世界一が半分できかかっている。[#地から1字上げ](昭和十年七月十三日)
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 腰の屈伸の不自由な病気にかかった。寝ているか、立っているのはいいがすわったり腰かけたりしているのがどうもぐあいが悪い。特に腰を低く下ろすような椅子《いす》がいけない。
 珍しい秋晴れの日に縁側へ出て庭をながめながら物を考えたりするのにぐあいのいいような腰の高い椅子があるといいと思う。しかし近ごろは昔あったような高い籐椅子《とういす》はもうめったに見当たらない。みんな安楽椅子のような扁平《へんぺい》なのばかりである。
 これはやはり「流行」の現象であろうと思われる。しかし扁平な低い椅子がはやるという現象には何かしらその背後にある時代的な心理の反映が見られる。
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 左の足が痛むのでびっこをひいて歩いていたら、その効果で今度は腹と腰とのつがい目の所の筋肉が痛んで立ったりすわったりするたびにそれが飛び上がるほど痛むのであった。立っているか寝ていればなんの事はない。しかしちょっとでも咳《せき》をするとそれがひどく痛み所にひびく。
 いろいろな動作でちっともそこに
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