こともないと思ったのである。ただ遠方からその風采《ふうさい》や態度をながめることの興味で満足していた。
それでも、どうかすると自分の研究室へ外来の学者を案内して来られることがある。その案内者が親しい同僚だけであればなんでもないが、しかしその中に学界の監察官のようなかたが一人でもいて来客の肩の後ろで厳粛な顔をしていられると自分の口は自然に膠着《こうちゃく》してしまって物が言えなくなる。
こうした監察官も日本の名誉のために必要かもしれない。
とにかく以上の事実は記録に値する。これは自分だけの体験した事実ではなくてかなり多数の同学者が多少ちがった程度と形式とで体験した事実だからである。[#地から1字上げ](昭和十年六月)
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死刑囚
友人の生理学者が見せてくれた組織学《ヒストロギー》の教科書の中にいろいろな人体の部分の顕微鏡写真がたくさん掲載されている。その図の下にある説明を読んで行くと「ある若き死刑囚の○○」といったようなのがかなり多数にある。
虎《とら》や豹《ひょう》は死してその毛皮をとどめる。そうして人間の生活になにがしかの貢献をすると同時に自己がかつてこの世に生存していたという実証を残す。
この世に活かしておけないという理由で処刑された人間の身体の一局部のきわめて微細な顕微鏡標本は生理学や医学の教科書に採録されて世界の学徒を教育する。
くだらない人間や、あるいはきわめていけない人間の書いたものでも後世を益することはある。たとえそれがどんなうそでも詐《いつわ》りでも、それでもやはり人間のうそや詐りの「組織」を研究するものの研究資料としての標本になりうる。ただしそれが「詐らざるうそ」「腹から出たうそ」でないと困るかもしれない。
とは言うものの、「佯《いつわ》りのうそ」でも結局それがほんとうに活きていた人間の所産である限り、やはりそれはそれとしての標本として役立つかもしれない。
全く役に立たない人間になる、ということほどむつかしい事はないかもしれない。[#地から1字上げ](昭和十年七月三日)
[#改ページ]
ノルマンディー
今度フランスで造った世界一の巨船ノルマンディーに関する記事がたくさんの美しい挿画《さしえ》や通俗的な図解で飾られてリリュストラシオンに載せられている。七万九千トン十六万馬力、船の全長三百十三メー
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