があった。おまけに名まで変っているのであったが、その人は快活で無頓着《むとんじゃく》な性質で自分の姓名の変なことなど意に介しないように見えた。ところがその人の子供が小学校へはいるころになって重大な問題がその名字にからんで起こって来た、と言うのは、その子が学校でみんなにその名前をからかわれ笑われるのをひどく気にして学校がいやになり気持ちがだんだんひがんで来た。そうして、そのためだかどうだか、そこまではだれにもわからないが、とにかくまもなく病死してしまった。その後その子の父は郷里へ帰って家系に関する徹底的の調査をして、何かしら適当の理由らしいものを捜し出し、それを申し立ててやっとの事で革姓の手続きを済ますことができた。
これで思い出すのは、昔|紅葉山人《こうようさんじん》の書いた何かの小品の中に、物好きな父親がその女の子におさるという名をつけた話があったように思う。妙齢《みょうれい》になってしかも人並みすぐれて美しい娘を父親が人前でおさるおさると呼び立てた、というのである。その結果がどうなったかは忘れてしまった。
電車の運転手や車掌には実際変った姓名が多いようである。しかし、これが、異った姓名の人は車掌や運転手になる確率が多いという証拠にはならない。たとえば一方には車掌運転手の名簿、一方には帝国大学生の名簿を置いて比較統計を取ってみなければならない。しかしそうなると「変った姓」と「変っていない姓」とを分類する標準が非常にむつかしくなってちょっと手がつけにくい仕事になるであろうと思われる。
しかし、変った姓はしかたがないとして、断然変った名の持ち主百人と、常識的にちっとも変っていないと判断される名の持ち主百人とを選び出して、その当人は問題とせず、それらの人々の父親について、その社会的地位階級、教育の程度、趣味の品別等について統計してみたら、あるいは多少の差別が認められはしないかという気がする。
もし多少でもそうであったとしたら、父の差別が子の差別に多少でも反映していないとも限らないと考えられるのである。
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木蓮
白木蓮《はくもくれん》は花が咲いてしまってから葉が出る。その若葉の出はじめには実にあざやかに明るい浅緑色をしていて、それが合掌したような形で中天に向かって延びて行く。ちょうど緑の焔をあげて燃ゆる小蝋燭《ころうそく》を点《とも》し
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