おそらく莫大なものであろうと思われた。ちょっと見積もっても数千という数であろうと思われる。
 この群れはどこの池沼で発生して、そうしてどこを目ざして移住するのか。目的地の方向を何で探知するか。渡り鳥の場合にでも解釈のつきにくいこれらの問題はこのいっそう智能の低い昆虫の場合にはいっそうわかりにくそうである。
 二匹ずつつながっているのが、それぞれ雌雄のひとつがいだとすると、彼らの婿《むこ》選み嫁《よめ》選みがいかにして行なわれるか。雌雄の数が同一でない場合に配偶者をもとめそこねた落伍者《らくごしゃ》の運命はどうなるか。
 こうした問題が徹底的に解かれるまでは人間の社会学にもまだどんな大穴が残され忘れられているかもしれないであろう。
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       *

 省線電車渋谷駅の人気者であった「忠犬」の八公《はちこう》が死んだ。生前から駅前に建立《こんりゅう》されていたこの犬の銅像は手向《たむけ》の花環に埋もれていた。
 たかが犬一匹にこのお祭り騒ぎはにがにがしい事だと言ってむきになって腹を立てる人もあった。
 しかし、これがにがにがしければすべての「宗教」はやはりにがにがしく腹立たしいものでなければならない。
 ある日上野の科学博物館裏を通ったら、隣の帝国学士院の裏庭で大きな白犬の写真を撮っていた。犬がちっとも動かないでいつまでもじっとしておとなしくカメラのほうを見つめている、と思ったら、そばに立っていた人がひょいとその胴をかかえて持ち上げ、二、三歩前のほうへ位置を変えたのでそれが剥製《はくせい》だとわかった。写真師のそばに中年の婦人が一人立っていた。片手を頬にあてたままじっと犬のほうを見ていた。
 翌朝新聞を見るとこの犬の写真が出ていた。やはりそれが八公であったのである。
 この剥製の写真を撮っている光景を見たときにはやはり自分の胸の中にしまい忘れてあった「宗教」がちょっと顔を出した。[#地から1字上げ](昭和十年六月十二日)
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 親がつけてくれた名が気に入らなくなって改名する人がある。姓名判断という迷信的な俗説を信じて改名するのはまた別であるが、そうでなくて改名する人にはおのずから共通な性質があるような気がする。あえて弱点というほどではないがとにかく若干の人のよさがあるような気がする。
 自分の知った人で非常に珍しい姓
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