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 髪を短くしている人は大概髪を延ばすと醜くなるようなたちの人だと床屋が言う。それはそういう場合もあるかもしれないが、またそうでない場合があるかもしれない。
 いつもとりすました顔をしている女は、たぶんすましたときのほうがいちばん美しく見えるような型であり、始終|笑顔《えがお》を見せている女は、やはりそうしたほうがすましているより美しく見えるような型の顔であるかもしれない。少なくも当人がそう信じていることだけは慥《たし》かであろうと思われる。
 めいめいで口をきいてめいめいの意見を吐露すべき会合の席上でいつでも黙々として始めからおしまいまで口を利かない人がある。もしかするとそれは口をきくと自分の美と尊厳をそこなうことを恐れる人ではないかという気がする。またこれと反対にいわゆる一言居士《いちげんこじ》と称するのもある。これはもちろん自分の一言の真と美を信ずるからのことであろう。しかし、自分の「我」に固執する点ではどちらも似たものである。
 公人としての会議ではやはり公の問題そのものの前に自分の私を忘れるべきであろう。「顔」を気にする女の場合とはちがうと思われる。
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 猫の尻尾《しっぽ》は猫の感情の動きに応じてさまざまの位置形状運動を示す。よく観察していると、どういう場合にどんな恰好をするかということはいくらかわかって来る。しかし、尻尾のないわれわれ人間には猫の「尻尾の気持ち」を想像することは困難である。舌で舐めたり後脚《あとあし》で掻いたりする気持ちはおおよそ想像してみることができても尻尾の振りごこちや曲げごこちは夢想することもできない。従ってわれわれは猫の尻尾の行動について「批評」する資格を持ち合わせない。
 科学の研究に体験をもたない言わばただの「科学学者」の科学論には往々人間の書いた「猫の尻尾論」のようなのがあるのも誠にやむを得ない次第であろう。
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 昭和九年十月十四日、風邪《かぜ》をひいて二階で寝ていた。障子《しょうじ》のガラス越しに見える秋晴れの空を蜻蛉《とんぼ》の群れが引っ切りなしにだいたい南から北の方向に飛んで行く。よく見るとほとんど皆二匹ずつタンデム式につながったもので、孤独な飛行者はきわめてまれである。おそらく二十分ぐらいの間この群飛がつづいたので、数にしたら
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