多くの人間の住所《すまい》では一般に南側が明るく、北側が暗いからである。
この説明が仮に正しいとしても、この事実の不思議さは少しも減りはしない。
不思議さが少しばかり根元へ喰い込むだけである。
すべての科学的説明というものについても同じことが言われるとすれば、……
未来の宗教や芸術はやはり科学の神殿の中に安置されなければならないような気がする。[#地から1字上げ](大正十年四月、渋柿)
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鳥や魚のように、自分の眼が頭の両側についていて、右の眼で見る景色と、左の眼で見る景色と別々にまるでちがっていたら、この世界がどんなに見えるか、そうしてわれわれの世界観人生観がどうなるか。……
いくら骨を折って考えてみても、こればかりは想像がつかない。
鳥や魚になってしまわなければこれはわからない。[#地から1字上げ](大正十年四月、渋柿)
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大正九年の七月に、カイゼル・ウィルヘルムの第六王子ヨアヒムが自殺をした。
ピストルの弾《たま》が右肺を貫き、心臓をかすっていた。
一度自覚を回復したが、とうとう助からなかった。
妃《きさき》との離婚問題もあったが、その前から精神に異状があったそうである。
王子の採った自殺の方法が科学的にはなはだ幼稚なものだと思われた。
なんだかドイツらしくないという気がした。
しかし、……心臓をねらうかわりに、脳を撃つか、あるいは適切な薬品を選んだ場合を想像してみると、王子に対するわれわれの感情にはだいぶんの違いがある。
やっぱり心臓を選ばなければならなかったであろう。[#地から1字上げ](大正十年五月、渋柿)
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「ダンテはいつまでも大詩人として尊敬されるだろう。……だれも読む人がないから」
と、意地の悪いヴォルテーアが言った。
ゴーホやゴーガンもいつまでも崇拝されるだろう。……
だれにも彼らの絵がわかるはずはないからである。[#地から1字上げ](大正十年五月、渋柿)
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「あらゆる結婚の儀式の中で、最も神聖で、最もサブライムなものは、未開民族の間に今日でもまだ行なわれている掠奪《りゃくだつ》結婚のそれである。……
近年まで、この風習が日本の片すみに残っていたが、惜しいことに、もうど
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