のときの感想を話し合わさせるという趣向なのである。
いずれも生まれて初めて飛行機に乗って珍しく感じたことを談《かた》り合ってそれを全国の聴取者に聞かせるのである。
世界地図をあけてスコットの飛んだ距離と、これらの日本の文士の一人ずつが飛んだ距離とを比べてみたときに、なんとなく多少の皮肉な感じを起こさないわけには行かなかった。
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上野公園の一隅《いちぐう》にある鉄筋コンクリートの建物の中で時々科学者が寄り集まって事務的な相談会を開くことがある。事務は事務だがともかくもむつかしい学問に関係した人事の相談である。寄り合う人々はみんなまじめな浮世離れのした中年以上の学者ばかりである。こういう会が朝の十時ごろから始まって昼飯時一時間の休憩があるだけで午後六時ごろまでもぶっ通しに続くことも珍しくない。
こういうときに、会が終わってほっとした気持ちで外へ出て、そうして連れに別れて一人でぶらぶら公園を歩いていると、いつも見飽きるほど見馴れた公園の森や草木が今までかつて見たことのないように異常に美しく見え、また行き通りの人々の顔が実に楽しく喜ばしそうに見え、そうして特に女子供がたとえようもなく美しく愛らしく見えてくる。今まで堅く冷たくすっかり凍結していた自分の中の人間らしい血潮が急に雪解けのように解けて流れて全身をめぐり始めるような気がするのである。
学者であって、しかも同時に人間であることがいかにむつかしいものかということをつくづく考えさせられるのは、そういう時である。
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血液の化学成分は驚くべき精密さをもって恒同に保たれている。ちょっと労働でもして血液中の水素イオン濃度がわずかに一億分一だけ増すとすぐ呼吸が忙《せわ》しくなって血液中の炭酸ガスを洗滌《せんじょう》させる。
人間の社会もこのくらい有機的になって、全系統の生理に有害なものを自働的に駆逐《くちく》するような機巧《きこう》が具わっているといいと思う。
現在でもある程度まではすでにそうなっているかもしれない。しかしこの調節作用を阻害するような病気があまりに多く、それに対する抵抗力があまりに弱いのではないかと思われる。
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ある日電車で新宿の通りを通過しながら街路をながめていると、両側の人道にほとんど軒並
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