編纂にはやはり単に文科方面のみならずあらゆる主要な自然科学の各部門からの代表者を集めて資料選択の任に当たらせる必要があるかと思われる。
多くの人の見るところでは、小学の教科書には忠良なる文化的日本人として一生知らなくてもたいしてさしつかえのないような事項が数々ある一方で、知らなくてはならないとわれわれに思われる事で書いてないことがたくさんあるようである。
たとえば手近なところで震災火災風災に対する科学的常識とか、細かいことではたとえば揮発油取り扱いの注意とか、誤って頭を打撲したときの手当とかいうものは万人必要の知識であるが自分の知る限り少なくも十分には取り扱われていない。
I博士の言うところを無断で借用すれば、ドリアンという臭くてうまいくだもののことなど知らなくても日本人の一分《いちぶん》は立つのである。またこうした種類の知識は心がけのある児童で後日そういう知識を必要とするような階級になるべき素質をもったものなら教科書で教わらなくても雑誌などからいくらでも覚えるであろうし、また、一生そんな知識を要しないような階級の子供ならせっかく教科書で骨折って教えてもおそらく三年たたない間にきれいに忘れてしまいそうに思われる。
児童教育より前にやはりおとなであるところの教育者ならびに教育の事をつかさどる為政者を教育するのが肝要かもしれない。
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学校を卒業したばかりの秀才が先生になって講義をするととかく講義がむつかしくなりやすい。これにはいろいろの理由があるが、一つには自分の歩いて来た遠い道の遠かったことを忘れるというせいもあるらしい。
若い学者が研究論文を書くと、とかくひとり合点で説明を省略し過ぎて、人がよむとわかりにくいものにしてしまう場合が多い。これもいろいろの理由があるが、一つには自分がはじめてはいった社会の先進者の頭の水準を高く見積もり過ぎるためもあるらしい。
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昭和九年の秋英人スコットの乗った飛行機が英国と濠州《ごうしゅう》メルボルンとの間をたった七十一時間で飛び渡った。
その目ざましい成効の報知がわが国に伝わった晩にちょうど日本の東京のJOAKで文士の航空に関する座談会というのが放送された。それは先日新聞社の催しで数名の知名の文士を北半日本のリレー飛行に搭乗《とうじょう》させた、そ
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