ーナリズムのトリックである。
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夜中に眼が覚めた。どこかで「デンポー、デンポー」と言っているらしい声が聞こえる。それから五分もたつとまた同じような声が聞こえる。あまり長い間をおいてしばしば繰り返されるから不思議だと思って注意していると数町さきの通りを通る自動車の「ブ、ブー」という警笛が聞こえる。さっきの「デンポー」はやはり自動車の警笛であった。笛のうちには音色がかなり人声に似たのがあると見える。
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犬吠岬《いぬぼうざき》の茶店の主人の話だそうである。三十年来の経験で、自殺者心中者はたいてい様子でわかる。思案にくれて懊悩《おうのう》しているようなのはかえって死なない。写真でも撮らせたり、ひどく元気よくはしゃいでいるのが怪しいということである。いったい死ぬほどに意気銷沈《いきしょうちん》したものなら首くくりの縄《なわ》を懸けるさえ大儀な気がしそうである。それをわざわざ遠く出かけて、しかも三原や浅間に山登りをする元気があるのは不思議なような気がする。こういう種類の自殺者は、悲観のためではなくてみんな興奮のために死ぬるのだろうと思われる。
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第一相互館の屋上で夜の銀座をながめていたら、突然停電で屋上はまっ闇になり、同時に銀座の両側の街燈も消えたが、街壁を飾るネオンサインはみんな平気でともっていた。しばらくして、街燈が一度にともったが、自分らのいる屋上はまだまっ暗であった。そうして楼下の町でまずぱっと明るさが増して、しばらくしてからやっと屋上が点燈した。人間の中風《ちゅうぶう》のメカニズムを想い出すのであった。
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電話が自働式に変わると同時に所属局が「小石川《こいしかわ》」から「大塚《おおつか》」に移り、さらにまた番号がもとより三〇〇〇だけ数を増した。なんだか自分のうちが遠い所へ持って行かれたような気がする。居《きょ》は心を移すというが、心は居を移すとも言われそうである。
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去年の秋|手賀沼《てがぬま》までドライヴしたついでに大利根《おおとね》の新橋まで行ってみた。利根川の河幅はこの橋の上流の所で著しく膨大《ぼうだい》して幅二キロメートル半ほどの沼地になっている。それにただ一面に穂芒《ほす
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