すき》が茂り連なって見渡す限り銀色の漣波《さざなみ》をたたえていた。実にのびのびと大きな景色である。橋のたもとの土手を下りて見上げると、この長さ一キロメートルのまっすぐなコンクリートの橋の下にそれと並行して下流の鉄道の鉄橋が見え、おりから通りかかった上り列車が玩具《おもちゃ》の汽車ででもあるように思われた。
 今までいっこう聞いたこともないこんな所にこんな絶景があると思うことはここに限らずしばしばある。そういう所はしかしたいてい絵にかいても絵にならず、写真をとってもしようのないようなところである。有名な名所になるための資格が欠けているのである。
 こういう所の美しさは純粋な空間の美しさである。それは空虚な空間ではなくて、人間にいちばんだいじな酸素と窒素の混合物で充填《じゅうてん》され、そうしてあらゆる膠質的《こうしつてき》浮游物で象嵌《ぞうがん》された空間の美しさである。肺臓いっぱいに自由に呼吸することのできる空気の無尽蔵の美しさなのである。
 往復ともに小菅《こすげ》の刑務所のそばを通った。刑務所の独房の中の数立方メートルに固く限られた空間を想像してみたときに、この大利根河畔の空間の美しさがいっそう強烈に味わわれるような気がするのであった。
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 昨年九月の暴風雨で東京の街路樹がだいぶいじめられた。たぶんいわゆる「塩風」であったためか、樹々の南側の葉が焦げたように黒褐色《こくかっしょく》に縮れ上がって、みじめに見すぼらしい光景を呈していた。丸《まる》の内《うち》の街路の鈴懸《すずかけ》の樹のこの惨状を実見したあとで帝劇へ行って二階の休憩室の窓からお堀《ほり》の向こう側の石崖《いしがけ》の上に並んだ黒松をながめてびっくりした。これらの松の針葉はあの塩風にもまれてもちっとも痛まないばかりかかえってこの嵐に会って塵埃《じんあい》を洗い落とされでもしたのか、ブラシでもかけたかと思うようにその濃緑の色を新鮮にして午後の太陽に照らされて輝いているように思われた。
 日本の海岸になぜ黒松が多いかというわけがはじめてはっきりわかったような気がしたのであった。
 国々にそれぞれ昔から固有なものにはやはりそれぞれにそれだけのあるべき理由があるのである。
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 昭和九年の十一月中旬には東京の丸の内のところどころの柳が青
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