映画雑感6[#「6」はローマ数字、1−13−26]
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)「立《た》て兵庫《ひょうご》」にどこか似ている

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)決まった時|介添《かいぞえ》に助けられて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和十年八月『渋柿』)
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      一 パーロの嫁取り

 北極探検家として有名なクヌート・ラスムッセンが自ら脚色監督したもので、グリーンランドにおけるエスキモーの生活の実写に重きをおいたものらしいので、そうした点で興味の深い映画である。グリーンランドのどの辺を舞台にしたものか不明なのが遺憾ではあるが、とにかく先ず極地の夏のフィヨルドの景色の荒涼な美しさだけでも、普通の動かない写真では到底見られぬ真実味をもって観客に迫ってくるようである。それからまた、この映画の中に描写された土人の骨相や風俗なども実に色々のことを考えさせる。ヒロインの美人ナヴァラナの顔が郷里の田舎で子供の時分に親しかった誰かとそっくりのような気がすることから考えると、日本人の中に流れている血がいくらかはこの土人の間にも流れているのではないかという気がする。ある場面に出て来る小さな男の子にもどう見ても日本人としか思われないのがいる。それからまた女の結髪が昔の娼婦などの結うた「立《た》て兵庫《ひょうご》」にどこか似ているのも面白い。
 唄合戦の光景も珍しい。一人の若者が団扇太鼓《うちわだいこ》のようなものを叩いて相手の競争者の男の悪口を唄にして唄いながら思い切り顔を歪めて愚弄の表情をする、そうして唄の拍子に合わせて首を突出しては自分の額を相手の顔にぶっつける。悪口を云われる方では辛抱して罵詈《ばり》の嵐を受け流しているのを、後に立っている年寄の男が指で盆《ぼん》の窪《くぼ》を突っついてお辞儀をさせる、取巻いて見物している群集は面白がってげらげら笑い囃《はや》し立てる、その観客の一人一人のクローズアップの中からも吾々はいくらも故旧の誰彼の似顔を拾い出すことが出来るのである。
 ラスムッセンの「第五回トゥーレ号探検記」にもこれに似た唄合戦の記事があるところを見ると、これに類似の風俗はエスキモー種族の間にかなり広く行われているのではないかと思う。我邦《わがくに》の昔の「歌垣《うたがき》」の習俗の真相は伝わっていないが、もしかすると、これと一縷《いちる》の縁を曳《ひ》いているのではないかという空想も起し得られる。
 唄合戦の揚句に激昂した恋敵《こいがたき》の相手に刺された青年パーロの瀕死の臥床で「生命の息を吹込む」巫女《みこ》の挙動も実に珍しい見物である。はじめには負傷者の床の上で一枚の獣皮を頭から被って俯伏《うつぶ》しになっているが、やがてぶるぶると大きくふるえ出す、やがてむっくり起上がって、まるで猛獣の吼《ほ》えるような声を出したりまた不思議な嘯《うそぶ》くような呼気音を立てたりする。この巫女の所作にもどこか我邦の巫女の神おろしのそれに似たところがありはしないかという気がするのである。
 ナヴァラナが磯辺で甲斐甲斐しく海獣の料理をする場面も興味の深いものである。そこいらの漁師の神さんが鮪《まぐろ》を料理するよりも鮮やかな手ぶりで一匹の海豹《あざらし》を解きほごすのであるが、その場面の中でこの動物の皮下に蓄積された真白な脂肪の厚い層を掻き取りかき落すところを見ていた時、この民族の生活のいかに乏しいものであるかということ、またその乏しい生活を乏しいとも思わず、世界の他の部分に行われている享楽の種類などは夢にも知らずに生涯を送るという、そうした人生もあり得るということ、そんないろいろな考えが一度に胸に沸き起った。
 カヤクと称する一人乗の小舟も面白いものである。上衣の胴着の下端の環が小舟の真中に腰を入れる穴の円枠にぴったり嵌《は》まって海水が舟中へ這入《はい》らないようにしてあるのは巧妙である。命懸けの智恵の産物である。
 これなども見れば見るだけ利口になる映画であろう。

      二 ロス対マクラーニンの拳闘

 この試合は十五回の立合の後までどちらも一度もよろけたり倒れかかるようなことはなかった。そうして十五回の終りに判定者がロスの方に勝利を授けたが、この判定に疑問があるというので場内が大混乱に陥ったということである。自分は拳闘のことは何も知らないが、しかしこの判定がやはり少し変に思われた。
 ロスの方は体躯も動作も曲線的弾性的であるのに対してマックの方は直線的機械的なように見え、また攻勢防勢の駈引も前者の方がより多く複雑なように見えたので、自分は前に見たベーアとカルネラとの試合と比較して、ロスが最後の勝利を占め
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