ながら上がって行く。二階からはピアノが聞こえて来る。階段を上りつめてドアの前に少時|佇《たたず》む。その影法師が大きく映る、という場面が全篇の最頂点になるのであるが、この場面だけはせめてもう一級だけ上《う》わ手《て》の俳優にやらせたらといささか遺憾に思われたのであった。
 テニス競技の場面の挿入は、物語としては主要なものでないが、映画の中の挿話として見ると不思議な心理的な効果をあげている。「大戦」と、ルパートのいわゆる「戦いはこれから始まるのだ」のその「戦い」との間に、この楽しい球技の戦いが挿入されている。そうして球技場の眩《まぶ》しい日照の下に、人知れず悩む思いを秘めた白衣のヒロインの姿が描出されるのである。
 つまらない事ではあるが、拘留された俘虜達が脱走を企てて地下に隧道《トンネル》を掘っている場面がある、あの掘り出した多量な土を人目にふれずに一体どこへ始末したか、全く奇蹟的で少なくも物質不滅を信ずる科学者には諒解出来ない。[#地から1字上げ](昭和十年八月『渋柿』)



底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店
   1997(平成9)年7月7日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2004年12月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング