暗示を受けて」作った映画だと断わってあるから、そのつもりで見るべきであろう。いちばん初めに高所から見たパリの市街が現われ前景から一羽のからすが飛び出す。次に墓場が出る。墓穴のそばに突きさした鋤《すき》の柄《え》にからすが止まると墓掘りが憎さげにそれを追う。そこへ僧侶《そうりょ》に連れられてたった三人のさびしい葬式の一行が来る。このところにあまり新しくはないがちょっとした俳句の趣がある。
 アンナ・ステンのナナが酒場でうるさく付きまとう酔っぱらいの青年士官を泉水に突き落とす場面にもやはり一種の俳諧《はいかい》がある。劇場での初演の歌の歌い方と顔の表情とに序破急があってちゃんとまとまっている。そのほかにはたいしておもしろいと思うところもなかったが、ただなんとなしに十九世紀の中ごろの西洋はこんなだったかと思わせるようなものがあって、その時代の雰囲気《ふんいき》のようなものだけが漠然《ばくぜん》とした印象となって頭に残っている。ナナの二人の友だちの服装やアンドレの家の食卓の光景などがそうした感じを助けたようである。
 この映画の監督はドロシー・アーズナーとあるから女であろうと思われる。どこかや
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