うな旧時代のものにはどうもあまり好感の持てないタイプである。しかし、とにかくこうした映画で日常教育されている日本現代の青年男女の趣味|好尚《こうしょう》は次第に変遷して行って結局われわれの想像できないような方向に推移するに相違ない。考えてみると映画製作者というものは恐ろしい「魔法の杖《つえ》」の持ち主である。
七 ロスチャイルド
この映画はなにしろ取り扱っている物語の背景の大きさというハンディキャップを持っている。その上に主役となる老優の渋くてこなれた演技で急所急所を引きしめて行くから、おそらくあらゆる階級の人が見て相当楽しめる映画であろうと思われる。しかしユダヤ人というものの概念のはなはだ希薄な日本人には、おそらくこの映画の本来のねらいどころは感ぜられないであろうし、あるいはかえってそのおかげで日本人にはいやみや臭味を感ずることなしにこの映画のいいところだけを享楽することができるかもしれない。
主人公の老富豪が取引所の柱の陰に立って乾坤一擲《けんこんいってき》の大賭博《だいとばく》を進行させている最中に、従僕相手に五十銭玉一つのかけをするくだりがある。そのかけにも老主人が勝ってそうしてすまして相手の銭をさらって、さて悠々《ゆうゆう》と強敵と手詰めの談判に出かけるところにはちょっとした「俳諧《はいかい》」があるように思われた。
最後に、勲功によって授爵される場面で、尊貴の膝下《しっか》にひざまずいて引き下がって来てから、老妻に、「どうも少しひざまずき方が間違ったようだよ」と耳語しながら、二人でふいと笑いだすところがある。あすこにもやはり一種の俳味があり、そうしていかにも老夫婦らしいさびた情味があってわれわれのような年寄りの観客にはなんとなくおもしろい。
しかし映画芸術という立場から見るとむしろ平凡なものかもしれないと思われた。
八 ベンガルの槍騎兵
変わった熱帯の背景とおおぜいの騎兵を使った大がかりな映画である。物語の筋はむしろ簡単であるが、途中に插入《そうにゅう》されたいろいろのエピソードで「映画的内容」がかなり豊富にされているのに気がつく。たとえば兵営の浴室と隣の休憩室との間におけるカメラの往復によって映出される三人の士官の罪のない仲のいいいさかいなどでも、話の筋にはたいした直接の関係がないようであるが、これがあるので、後に
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