て有り過ぎる心配のないものであろう。編集の巧拙などはほとんど問題にしなくてもよいかと思われる。
十五 吼えろヴォルガ
「燃え上がるヴォルガ」(俗名、吼《ほ》えろヴォルガ)を見た。映画はそれほどおもしろいとは思わなかったが、その中でトロイカの御者の歌う民謡と、営舎の中の群集の男声合唱とを実に美しいと思った。もっと聞きたいと思うところで容赦なく歌は終わってしまう。
「ハイデルベルヒの学生歌」(俗名、若きハイデルベルヒ)でも窓下の学生のセレネードは別として、露台のビア・ガルテンでおおぜいの大学生の合唱があって、おなじみのエルゴ・ヴィヴァームスの歌とザラマンダ・ライベンの騒音がラインの谷を越えて向こうの丘にこだまする。
ロシアでもドイツでも、男どうしがおおぜい寄り集まったときに心ゆくばかりに合唱することのできるような歌らしい歌をたくさんにもっているということは実にうらやましいことである。日本でも東京音頭やデッカンショがあると言えば、それはある。しかし上記のトーキーに出て来る二つの合唱だけに比べても実になんという貧しさであろう。
これはトーキー作者の問題であると同時に、国民
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