であることと「肉屋」であることに深い意味があるような気がする。
六万の観客中には、シネマ俳優としてのベーアの才能と彼のいろいろなセンチメンタル・アドヴェンチュアとを賛美する一万の婦人がいてはなやかな喝采《かっさい》を送ったそうである。
友人たちとこの映画のうわさをしていたとき、居合わせたK君は、坊間所伝の宮本武蔵《みやもとむさし》対|佐々木巌流《ささきがんりゅう》の試合を引き合いに出した。武蔵は約束の時間を何時間も遅刻してさんざんに相手をじらしたというのである。武蔵もまたどこかユダヤ人のような頭の持ち主であったのかもしれない。
十 「只野凡児」第二編
凡児《ぼんじ》の勤めている会社がつぶれて社長が失踪《しっそう》したという記事の載った新聞を、電車の乗客があちらこちらで読んでいる。それが凡児の鼻の先に広げられているのに気がつかず、いつものようにのんきに出勤して見ると、事務室はがら明きで、ただ一人やま子がいる。そこへ人夫が机や椅子《いす》を運び出しに来る。
ここらの呼吸はたいそういい。しかし、おかしいことには、これと同日同所で見せられたアメリカ映画「流行の王様」に、や
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