の人間と他の一群の人間とが草原や川原で追いつ追われつする光景をいろいろの角度からとったものである。人間が蟻《あり》か何かのように妙にちょこちょこと動くのが滑稽《こっけい》でおもしろい。
千篇一律《せんぺんいちりつ》で退屈をきわめる切り合いや追っ駆けのこんなに多く編入されているわけが自分には了解できない。あるいは、これがいちばん費用がかからないためかとも思う。
こういう時代物の映画で俳優たちのいちばんスチューピッドに見えるのは、彼らが何かひとかどの分別ありげな思い入れをする瞬間である。深謀遠慮のある事を顔に出そうとすればするほどスチューピッドになるのは当然のことである。
日本の時代物映画も、もうそろそろなんとか頭脳の入れ換えをしたらどうかと思う。
十四 食うか食われるか
亀《かめ》と亀とが角力《すもう》をとって負けたほうが仰向けに引っくり返される。引っくり返されたが最後もう永久に起き上がる事ができないので乾干《ひぼ》しになるそうである。猛獣の争闘のように血を流し肉を破らないから一見残酷でないようでありむしろ滑稽《こっけい》のようにも見えるが、実は最も残忍な決闘である。精神的にこれとよく似た果たし合いは人間の世界にもしばしばあるが、不思議なことにはこういう種類の決闘は法律で禁じられていない。
亀と王蛇《キングスネーク》とが行き会ってもお互いに知らん顔をしている。蛇《へび》にとっては亀は石ころと同様であり、亀にとっては蛇は動く棒切れとえらぶところがないらしい。二つの動物の利害の世界は互いに切り合わない二つの層を形成している。従って敵対もなければ友愛もない。
王蛇とガラガラ蛇との二つの世界は重なり合っている。そこで食うか食われるかの二つのうちの一つしか道がない。
この二つの蛇の決闘は指相撲《ゆびずもう》を思い出させる。王蛇のほうの神経の働く速度がガラガラ蛇のそれよりもほんの若干だけ早いために、前者の口嘴《くちばし》が後者のそれを確実に押えつけるものと見える。人間の撃剣や拳闘《けんとう》でも勝負を決する因子は同じであろうが、人間には修練というものでこの因子を支配する能力があるのに動物はただ本能の差があるだけであろう。
王蛇《キングスネーク》がいたちのような小獣と格闘するときの身構えが実におもしろい見ものである。前半身を三重四重に折り曲げ強直させて
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング