かしいであろうと思われる。しかしまた同じ理由からしてこの映画はすべての男性にとって別な意味で特殊な興味のあるものに相違ないのである。
不自由な環境によって生み出された不自然な現象の一つとして一人の女生徒マヌエラと一人の女教師フロイライン・フォン・ベルンブルヒとの間の不思議な関係が生じ、それがこの映画の演劇的な部分のおもなる骨子となっている。この葛藤《かっとう》に伴なう多くの美しい感傷の場面の連続によって観客の感興をつなぎつつ最後の頂点に導いて行く監督の腕前はそんなに拙であると思われないようである。しかしそういう劇的な脚色の問題とは離れて、前記の「実験」の意味からいうと、本筋のストーリーよりもあのおおぜいの女学生の集団の中に現われる若いドイツ女性のケックハイト、デルブハイトといったようなものの描写の中に若干の真実の表現があるようで、見方によってはむしろそのほうに興味を引かれ同時にいろいろの問題を暗示されるようである。
不自然な世界の中での自然な現象としては舎監やその助手のばあさんがある。自分の目にはこの二人のばあさんがもっとも理解しやすい「定型」として現われる。この二人の憎まれ役は、
前へ
次へ
全13ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング