の映画は大いに研究に値するものかもしれない。しかしこういう行き方では決してドビュシーの音楽のようなものはできないであろう。それはやはりフランス人に待つほかはない。
「七月十四日」のすぐあとでこの「人生の歌」を見たためにこういう対照を特に強く感じたのかもしれない。映画の内容のモンタージュが問題となるように、見るべき映画のプログラムのモンタージュもやはり問題になるようである。
 ともかくも「人生の歌」には理知的興味が勝っているので、そういうものを要求する観客にはおもしろいかもしれない。そういう観客には「七月十四日」はかえってはなはだ空疎なものに見えるかもしれない。それでこの二つの映画を見せて、そのいずれを選ぶかによって観客の定型を二つに分けることもできそうである。解析型と直観型あるいは構成派と印象派といったような二つに分けられはしないか。そう簡単にはゆかないまでも、少なくもこういうふうに考えてみることによってこの二つの映画の了解を助けることにはなるであろうと思われる。
[#地から3字上げ](昭和八年三月、帝国大学新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店

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