捜す場面で、階下から聞こえて来る土人女の廃頽的《はいたいてき》な民謡も、この場の陰惨でしかもどこかつやけのある雰囲気《ふんいき》を濃厚にする。それから次の酒場で始終響いているピアノの東洋的なノクターンふうの曲が、巧妙にヒロインの心理の曲折を描写している。愛人の兵士が席を立ったあとで女がただ一人ナイフとカルタをいじっている。この無意識なそうして表面平静な挙動の奥にあばれている心のあらしを、隣室から響くピアノの単純なようで込み入った抑揚が細かに描いて行く。そうして食卓の上に刻まれた彼女自身の名前を見いだした最後の心機の転回に導かれるまでこのピアノ曲はあるいは強くあるいは弱く追跡して来る。突然この音が絶えると同時に銀幕のまん中にはただ一本の旗が現われ、それが強い砂漠《さばく》のあらしになびいてパリパリと鳴る音が響いて来る。ピアノの音からこの旗のはためきに移る瞬間に、われわれはちょうどあるシンフォニーでパッショネートな一楽章から急転直下 Attacca subita il seguente に明朗なフィナーレに移るときと同じような心持ちを味わうのである。
 屋上で神に祈る土人の歌謡、カバレでりんごを売る女の唱歌、それらもおもしろくない事はない。また女の捨てばちな気分を表象するようにピアノの鍵盤《けんばん》をひとなでにかき鳴らしたあとでポツンと一つ中央のCを押すのや、兵士が自分で投げた団扇《うちわ》を拾い上げようとしてそのブルータルな片手で鍵盤をガチャンと鳴らすのや、そういう音的効果もあまりわざとらしくないようにうまく取り入れられている。しかしそういう小技巧だけならば何も、この「モロッコ」に限らず、少し気のきいた映画には至るところに使われていることであろうと想像される。この映画の独自な興味は結局太鼓の音と靴音《くつおと》とこれに伴なう兵隊の行列によって象徴された特異なモチーフをもって貫かせた楽曲的構成にあると思われる。そうしてその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少しの倦怠《けんたい》を感ぜしめないのみならず、一歩一歩と高調する戯曲的内容を導いて最後の最頂点に達するまでに観客の注意の弛緩《しかん》を許さないのであろう。
 この映画を見て非常におもしろいという人とちっともおもしろくないという人と二通りあるようである。これはこの二人の人の有声映画というものに対する心的態度と要求との根本的差違を反映する現象である。将来の有声映画製作者にとってはこの二つの対蹠的《たいせきてき》な現象の分析的研究が必要となるであろう。この二つのものはしかし必ずしも互いに相容《あいい》れないものではないように私には思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和六年五月、文芸春秋)

       三

「青い天使」と同日に「モンテカルロ」を見たのもおもしろい取り合わせであった。古典音楽のあとでジャズを聞くような感じがした。二つのものの行き方のちがいがかなりはっきり対照される。前者は何かしら考えさせよう考えさせようとする思わせぶりが至るところに鼻につくような気もするが、後者は反対に何事をも考えさせないように考えさせないようにとしているところがある。これはもちろん二つの間のストーリーの根本的の差違によることであり、また一方では劇的分子、一方では音楽的分子が主要なものになっているためもあるが、しかしまた二人の監督の手法の些細《ささい》な点まで行き渡った違いによることも明白である。侯爵家の家従がパッとマグネシウムをたいてポンと写真を取ると、すぐに機関車がスクリーンにとび出してエンジンの音楽の始まるところの呼吸などはちょっと理屈なしにおもしろい。本来ならば実に退屈で到底見ていられそうもない筋と材料を使って、そうしてちっとも退屈させないで緊張をつづけて行くのは映画としての編成の上に至るところ非常に気のきいた取り扱い方があるおかげであろう。そうして、それが簡単に一口に説明のできないようなところにうまみがあるからである。最後のオペラの場面でも、二つの向き合ったロージュと舞台との交錯した切り合わせ方の呼吸などがそれである。あれをもう少し下手《へた》にやろうものならおそらく見るに堪えない退屈なものになるにちがいない。
 ソビエト映画「全線」というのを見た。これも肝心な所が省略されているそうであるが、それでもおもしろくなくはない。牛乳びんがいっせいに充填《じゅうてん》されて行くところだとか、耕作機械の大分列式だとか、これらは子供にもおとなにも、赤にも白にも、無条件におもしろい何物かをもっている。映画のそもそもの始めに見物を喜ばせた怒濤《どとう》の実写などが無条件におもしろがられたのは、決して単に珍しいというだけの好奇心の満足ではなくてやはり映画芸術に本質的な随一の要素の一つを具備しているからであろう。牡牛《おうし》の死ぬる前後のところも単なる実写的の真実に対する興味のほかに、映画としての取り扱い方のうまさは充分にある。それから、こういうロシア映画でいつもおもしろいと思うのは出場人物のタイプの豊富さであるが、これは他の欧州諸国では得られない天然の制約によるものであろう。
 この監督の新しい理論に基づいて構成されたと称するこの映画は、たしかにおもしろいところがあるには相違ないが、しかしまだなんとしても未来の映画への一つの試みという程度を越えていないような気がする。いろいろないわゆるモンタージュやエディティングの必然性が観客の頭へはそれほどに響いて来ない。おそらくこの監督自身の企図している道程から見ても、わずかに一歩を踏み出したに過ぎないではないかと思われる。聞くところによるとこの有名な映画監督は日本の文化の中の至るところに映画術的要素があるのに、日本の今の映画には不思議にその要素が欠けている、という意味の批評をしているそうである。そうして日本の俳諧《はいかい》や短歌の中にモンタージュ芸術の多分な要素の含まれていることを強調しているそうである。
 エイゼンシュテインがいかなる程度にわが国の俳諧を理解してこう言っているかはわかりかねるが、日本人の目から見ても最もすぐれたモンタージュ芸術の典型として推すべきものはいわゆる俳諧連句そのものである。
 ヤニングスとディートリヒの「青い天使」「嘆きの天使」というのを見た。同じ監督がこのあとに作った「モロッコ」を見たあとでこれを見たことは一つのおもしろい経験であった。著名な科学者の一代の大論文を読んで感心したあとで、その人のその論文を書くまでの道筋を逆にたどってそれまでのその人の著述を順々に古いほうへと読んで行くと、最初に感心させられたものが、きわめて平凡なあたりまえの落ち着き所であるとしか思えなくなって来る。これとは事がらはちがうが多少似た関係がこの二つの映画の間に見いだされる。すなわち後の「モロッコ」において純化され洗練されて現われているものが「青い天使」ではまだいろいろの過去の塵埃《じんあい》の中にちらばって現われているような気がする。
 最初にハンブルグの一|陋巷《ろうこう》の屋根が現われ鵞鳥《がちょう》の鳴き声が聞こえ、やがて、それらの鵞鳥を荷車へ積み込む光景が現われる。次には、とある店先のショーウィンドウの鎧戸《よろいど》が引き上げられる、その音のガーガーと鵞鳥のガーガーが交錯する。そうしてこの窓にヒロインの絵姿のビラがはってあるのである。これを彼《か》の「モロッコ」の冒頭に出て来るアラビア人と驢馬《ろば》のシーンに比べるとおもしろい。後者のほうがよほど垢《あか》が取れた感じがする。前者のほうは容易に説明のできる小細工のおもしろみであるに対して、後者のほうには一口には説明のできない深い暗示があり不思議なアトモスフェアがあるのである。ラート教授の下宿の朝食のトロストロースな光景はかなりよくできている。いつも鳴く小鳥が死んでいる。そうして教授の唯一の愛が奪われるのであるが、後に教授が女の家で泊まった朝、二人でコーヒーをのんでいるときに小鳥の声が聞こえることになっている。こういうふうの技巧で過去を現在に反射――対照する方法はこの監督のかなり得意な慣用手段であるように見える。たとえば同じようなスートケースが少なくも四五度現われて、それが皆それぞれ違った役目をつとめると同時にその物を通して過去をフラッシュバックして運命の推移を意識させる。またたとえば教授の出勤時刻をしらせる時計の音が何度も出て来る。教場の光景も初めと終わりに現われそれが皆それぞれ全く変わった主人公の心境の背景として現われるのである。同じ女の絵はがきでも初めは生徒の手から没収したのを後には自分でお客に売り歩くことになっている。要するにこの映画ではこういうものがあまり錯雑し過ぎていた、なんとなく渾然《こんぜん》としない感じがする。これに比べると「モロッコ」の太鼓とラッパの一貫したモティフの繰り返しはよほど洗練されたものである。そう言えば「青い天使」の舞台や楽屋の間のシーンも視覚的効果としてやはり少しうるさすぎる感じがある。それが下宿屋の荒涼な環境との対比であるにしても少しあくが強すぎるような気がするがそこがドイツ向きなところかもしれない。ここの楽屋で始終影のようにつきまとう一人の道化師がある。これが不思議な存在である。断えず出入りしているが劇中の人には見えない聞こえない、ちょうど幽霊のような役目をつとめている。教授自身が道化師になって後にはこれが現われて来ない。これはおそらく教授のドッペルゲンガーのようなもので、そうして未来の悲運の夢魔であり、眼前の不安の予覚である。これは監督苦心の産物かもしれないが、効果は遺憾ながらあまり上乗とは思われない。後日「モロッコ」を作る場合にはこの道化師までもみんないっしょに太鼓とラッパの音の中へたたき込んでしまったものと思われる。
 俳諧連句《はいかいれんく》については私はすでにしばしば論じたこともあるからここでは別に述べない。とにかく、連句に携わる人はもちろん、まだこれについて何も知らない人でも、試みに「芭蕉《ばしょう》七部集」の岩波本を活動帰りの電車の中ででも少しばかりのぞいて見れば、このごろ舶来のモンタージュ術と本質的に全く同型で、しかもこれに比べて比較にならぬほど立派なものが何百年前の日本の民衆の間に平気で行なわれていたことを発見して驚くであろう。ウンター・デン・リンデンを歩いている女と、タウエンチーン街を歩いている男と、ホワイトハウスの玄関をはぎ合わせたりするような事はそもそも宵《よい》の口のことであって、もっともっと美しい深い内容的のモンタージュはいかなる連句のいかなる所にも見いだされるであろう。そうしてそのモンタージュの必然的な正確さから言ってもその推移のリズムの美しさから言っても、そのままに今の映画製作者の模範とするに足るものは至るところに見いださるるであろう。しかし現代の日本人から忘れられ誤解されている連句は本家の日本ではだれも顧みる人がない。そうして遠いロシアの新映画の先頭に立つ豪傑の慧眼《けいがん》によって掘り出され利用されて行くのを指をくわえて茫然《ぼうぜん》としていなければならないのである。しかも、ロシア人にほんとうに日本の俳諧《はいかい》が了解されようとは考えにくいのに、それだのにそのロシア人の目を一度通ったものでなければ、今の日本人は受け付けないのである。浮世絵の相場が西洋人の顧客によって制定されると一般である。また日本人の独創的な科学的研究でも、西洋人が一度きわめをつけないと、学位さえもらえないことがあるのとも一般である。
 モンタージュはすなわちモンテーであり、マウンティングであり、日本語では取り付け、取り合わせ、付け合わせ、あしらいである。花を生けるのもこれである。試みに西川一草亭《にしかわいっそうてい》一門の生けた花を見れば、いかに草と木と、花と花と、花と花器とのモンタージュの洗練されうるかを知ることができる。文人風や遠州《えんしゅう》好《ごの》みの床飾
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