ともかくもルネ・クレールの映画のおもしろみを充分に味わうには、その中に含まれた俳諧的要素を認めることも必要ではないか。もしそうだとすれば日本人は彼の映画を鑑賞する際に、アメリカ人や、ドイツ人には許されない特等席の一部を占有した形になるのである。
「百万両」にはなんとなく諧調《かいちょう》の統整といったようなものが足りなくて、違った畑のものが交じっているような気がしたが、今度のはそういう不満はあまり感じさせられない。ただ職工の釣《つ》りをたれているところと、その次の野外舞踊の場面だけが少ししっくりしかねるように思われた。これだけ切ってしまってもおそらくこの映画価値は決して損失を受けないばかりかむしろいっそう渾然《こんぜん》としたものになりはしないかという気がするのである。

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ゆがみて蓋《ふた》のあわぬ半櫃《はんびつ》   凡兆《ぼんちょう》
草庵《そうあん》にしばらくいては打ちやぶり   芭蕉《ばしょう》
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[#地から3字上げ](昭和七年五月、東京帝国大学新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店

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