回そうとしても到底それだけで得らるべきものではない。こういう意味ではおそらくあらゆる他の国々の作者よりもロシアの作者が断然一頭地をぬいているように私にも思われる。現在のロシア、あるいはむしろ日本の若干のロシア崇拝の芸術家の仮定しているロシアの影像のかなたに存する現実のロシアに、こういう、古典的の意味での芸術の存在することはむしろ一種のアイロニーであるかもしれないのである。
ほこりっぽい、乾苦《かわきぐる》しい、塩っ辛い汗と涙の葬礼行列の場面が続いたあとでの、沛然《はいぜん》として降り注ぐ果樹園の雨のラストシーンもまた実に心ゆくばかり美しいものである。しかしこのシーンは何を「意味する」か。観客はこのシーンからなんら論理的なる結論を引き出すことはできないであろう。それはちょうど俳諧連句《はいかいれんく》の揚げ句のようなものだからである。
映画「大地」はドラマでもなく、エピックでもなく、またリュリックでもない。これに比較さるべき唯一の芸術形式は東洋日本の特産たる俳諧連句《はいかいれんく》である。
はなはだ拙劣でしかも連句の格式を全然無視したものではあるがただエキスペリメントの一つとして
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