ち観客の目があちらからこちらへと渡って歩くと同じリズムで画面の切り換えが行なわれるかどうかによるのであろう。観客があちらを見たくなる時にちょうどあちらの群れが現われ、こちらを向きたくなる時にちょうどこちらが現われ、アルベールの顔が見たくなる瞬間を見すましてアルベールの顔が現われる。そうしてまた彼の目に案内されて観客が見たいと思う方面が誤たず即座にスクリーンに出現するのである。
これと全く同一技法は終巻に近い酒場の場面でも使用されている。すなわち、一方にはある決心をしたアルベールと不安をかくしているポーラが踊っている。一方のすみには熊鷹《くまたか》のような悪漢フレッドの一群が陣取って何げないふうを装って油断なくにらまえている。ここで第三者たる観客はまさに起こらんとする活劇の不安なしかも好奇な期待に緊張しながら、交互にあちらを見たりこちらを見たりして、そうして自分も劇中の一員となってクライマックスへの歩みを運んで行くのである。そうしてこの場面にもまた背景となる音楽がなめらかに流れているのである。たったこれだけのことである。しかしここでもし下手《へた》な監督がこのような筆法を皮相的にまねて
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