忘れ難いものである。
この映画を見た前夜にグスタフ・マーラーの第五交響楽を聞いた。あまりにも複雑な機巧に満ちたこの大曲に盛りつぶされ疲らされたすぐあとであったので、この単純なしかし新鮮なフィルムの音楽がいっそうおもしろく聞かれたのかもしれない。そうしてその翌晩はまた満州《まんしゅう》から放送のラジオで奉天《ほうてん》の女学生の唱歌というのを聞いた。これはもちろん単純なる女学生の唱歌には相違なかったが、しかし不思議に自分の中にいる日本人の臓腑《ぞうふ》にしみる何ものかを感じさせられた。それはなんと言ったらいいか、たとえば「アジアの声」を聞くといったような感じであった。アメリカのジャズとドイツのジャズとの偶然な対比の余響からたまたまそういう気がしたかもしれない。
それにしてもわれわれ生粋《きっすい》の日本人のほんとうに要求する音映画はまだどこにもない。そういったような気がするのであった。われわれの要求するものはやはり日本のパブストであり、日本のルネ・クレールであろう。こういつまでも外国のものの封切りを追いかけては感心させられる事に忙しいのでは困るという気もした。
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