ゆる美しい並行直線の交響楽。脱獄のシーンに現われる二重の高塀《たかべい》の描く単純で力強い並行線のパースペクチヴ。牢屋《ろうや》や留置場の窓の鉄格子《てつごうし》、工場の窓の十字格子。終わりに近く映出される丸箱に入った蓄音機の幾何学的整列。こういったようなものが緩急自在な律動で不断に繰り返される。円形の要素としては蓄音機の円盤、工場の煙突や軒に現われるレコードのマーク。工場の入り口にある出勤登録器のダイアル。それから昼顔の花もかすかにこれに反映するものである。直線運動としては囚徒や職工の行列、工作台上の滑走台、ジュアンヌの机の前の壁を走り上る数字の列等が著しいモチーフとして繰り返される。円形運動ではレコードや、ダイアルの回転があるほかに、新工場開場式のクライマックスに吹き起こる狂風の複雑な旋転的乱舞がやはり全編の運動のクライマックスを成しているのである。そのあとで、解放された男女職工が野外のメイポールの下で踊るのがやはり円運動の余響として見られる。最後に愉快なルンペン、ルイとエミールが向かって行く手の道路の並行直線のパースペクチヴが未知なる未来への橋となって銀幕の奥へ消えて行くのである。
音響効果としていろいろなモチーフが繰り返される。たとえば刑務所と工場の仕事場では音楽に交じる金鎚《かなづち》の音が繰り返され、両方の食堂では食器の触れ合うような音の簡単な旋律が繰り返される。クライマックスの狂風の場面の物をかきむしるような伴奏もはなはだ特異なもので画面の効果を十二分に強調する効果がある。この場面の群衆の運動の排列が実際非常に音楽的なものである。決していいかげんの狂奔ではなくて複雑な編隊運動になっていることがわかる。
役者も皆それぞれにうまいようである。アメリカ役者にはどこを捜してもない一種の俳味といったようなものが、このルイとエミールの二人にはどこかに顔を出しているのがおもしろいと思う。このいわゆる俳味というのはロイドやキートンになくてチャプリンのどこかにある東洋哲学的のにおいである。そういえば最後のシーンで百万長者からもとのルンペンに逆もどりしたルイのメーキアップはかなりチャプリンに似たところがある。
編中に插入《そうにゅう》された水面の漣波《れんぱ》、風にそよぐ蘆荻《ろてき》のモンタージュがあるが、この插入にも一脈の俳諧《はいかい》がある。この無意味なよう
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