ある。
しかし蝗《いなご》やフラミンゴーに限らず、ゼブラでもニューでも、インパラでもジラフでもみんな群れをなして棲息《せいそく》している。アフリカでは食うことの不自由はないであろうからやはり生命の敵に対する防衛の便宜から自然に集団生活に慣らされたのか、それとも生殖の便宜からか、あるいはスポーツのためだか自分にはわからない。それはとにかくアフリカ映画でこれらのたくさんな動物の群れの中に交じった少数な人間の群れを見ると、アフリカの原野では少なくとも動物も人間も対等の存在であるという感じがする。それをいわゆる文明人が出かけて行って単なる娯楽のためにムザムザ殺すのがどうも不都合だという気がしてくる。
酋長《しゅうちょう》のむすこがライオンに食われる場面がある。あれはどうも映画師がほとんど計画的に食わせるように思われて不愉快であった。白人にとっては黒人はおそらくゼブラや疣猪《いぼいのしし》とたいしてちがったものには思われてないのではないかという気がしてならない。黄色人はどの程度に思われているのかが次の問題になる。西洋のある国が世界を征服する日を夢みているような日本人があったら、そういう人はこの映画を見るといいと思う。
この酋長《しゅうちょう》の子が食われたので、映画師らは酋長に合わせる顔がないといってしょげる場面はどうも少し芝居じみる。A life for a life というタイトルが出たから映画師が殺されるかと思ったら、そうでなくてやはりライオンが一匹やられるのである。しかしライオンなどは少しも芝居しないから愉快である。ライオンが自動車のタイアを草原に見いだして前足でつついてみては腹を立ててうなる場面は傑作である。ライオンがふきげんであればあるほど観客は笑うのである。もしか自分がライオンだったら、この不都合な侵入者らに対してどんなに腹の立つことであろう。
アフリカは世界の動物園、野獣の楽園として永久に保存したい。天然物保存地帯として少なくもこの大陸内地の大部分を万国協定で指定してほしいと思うのである。
獅子《しし》のいる草原の中にどうも地震による断層らしく見えるものが写っている。あとで地震学者に聞いてみると、あのタンガニイカ湖付近には実際大地震による断層が縦横に通っているのである。この一部が偶然にライオンの背景の中に出ているのも実写映画の妙味である。
蛮人の顔
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