のクローズアップにはこの映画に限らず頭の上をはう蠅《はえ》が写っている。この蠅がいわゆる画竜点睛《がりょうてんせい》の役目をつとめる。これを見ることによってわれわれは百度の気温と強烈な体臭を想像する。この際蠅はエキストラでなくてスターである。しかし監督の意図など無視して登場し活躍しているからおもしろい。
蛮人の王城らしい建物が映写される。この建物はきわめて原始的であるが一種の均整の美をもっている。素人目《しろうとめ》にはわが大学の安田講堂《やすだこうどう》よりもかえって格好がいいように思われる。デテイルがないだけに全体の輪郭だけに意匠が集注されるためかもしれない。
インパラという動物の跳躍も見物《みもの》である。十数尺の高さを水平距離で四十尺も一飛びにとぶのである。何か簡単な器械を人間のからだへつけて、この動物のようにとんで歩くスポーツを発明したらおもしろいかもしれないという気がした。
こういう実写を見ているとつくづく人間のこしらえた映画のばかばかしさを感じる。天然の芸術にはかなわぬことは始めからわかっていることではあるが。
[#地から3字上げ](昭和六年十一月、東京帝国大学新聞)
五
「三文オペラ」を見た。文明のどん底、東ロンドンの娼家《しょうか》の戸口から、意気でデスペラドのマッキー・メッサーが出てくる。その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白刃が現われる。ドック近くの裏町の門々にたたずむ無気味な浮浪人らの前をいばって通り抜けて川岸へくると護岸に突っ立ったシルクハットのだぶだぶルンペンが下手《へた》な掛け図を棒でたたきながら Die Moriat von Mackie Messer を歌っている。伴奏に紙腔琴《しこうきん》をまわしているばあさんの横顔が象徴的である。背景には岸近くもやった船の帆柱の林立がある。掛け図には殺されて倒れている人や、ソホの火事場の粗末な絵の見えるのもちょっとした効果がある。ここの場面がいちばん昔の東ロンドンの雰囲気《ふんいき》を濃厚に現わしているように思われる。これと、ずっと後に警察で電話をかけたりする場面とはどうも全く別の世界のような気がする。ポリー母子《おやこ》がミリナーの店の前で飾り窓の中のマヌカンを見ている。そこへ近づくメッサーの姿が窓ガラスに映ってだん
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