いろな絵巻物の紙面に自由に展開されているからおもしろい。「世界の一億年」と名づける映画はまだ見ないが、成効不成効は別問題として、製作者の意図はやはりこの「時の器械」をねらったものであろう。
 現代の映画を遠い未来に保存するにはどうすればいいかの問題がある。音声の保存はすでに金属製の蓄音機レコード原板によって実行されている。映画フィルムも現在のままの物質では長い時間を持ち越す見込みがないように思われるから、やはり結局は完全に風化に堪えうる無機物質ばかりでできあがった原板に転写した上で適当な場所に保存するほかはないであろう。たとえば熔融石英《フューズドシリカ》のフィルムの面に還元された銀を、そのまま石英に焼き付けてしまうような方法がありはしないかという気がする。とにかく、なんらかの方法でこの保存ができたとして、そうして数十世紀後のわれらの子孫が今のわれわれの幽霊の行列をながめるであろうということは、おもしろくもおかしくもまたおそろしくも悲しくもあり、また頼もしくも心細くもあるであろう。

 はなはだまとまらないこの一編の映画漫筆フィルムにこのへんでひとまず鋏《はさみ》を入れることとする。

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