密のリズムがないから画面が単調で空疎である。たとえば大評定の場でもただくわいを並べた八百屋《やおや》の店先のような印象しかない。この点は舶来のものには大概ちゃんと考慮してあるようである。第三にはフィルムの毎秒のコマ数によっておのずから規定された速度の制約を無視して、快速な運動を近距離から写した場面が多い。そういうところはただ目まぐるしいだけで印象が空疎になるばかりでなくむしろ不快の刺激しか与えない。これはフィルムの上における速度の制限を考慮して、快速度のものは適当の距離から撮《と》るべきである。これも舶来ものを参照すればわかるであろう。第四にはセットの道具立てがあまり多すぎて、印象を散漫にしうるさくする場合が多い。たとえば「忠弥《ちゅうや》」の貧民窟《ひんみんくつ》のシーンでもがそうである。セットの各要素がかえって相殺《そうさい》し相剋《そうこく》して感じがまとまらない。これらの点についても、監督の任にある人は「俳諧《はいかい》」から学ぶべきはなはだ多くをもつであろう。それからまた県土木技師の設計監督によるモダーン県道を徳川時代の人々が闊歩《かっぽ》したり、ナマコ板を張った塀《へい》の
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