映画が再び自分の日常生活の上におりおり投射されるようになったのがつい近ごろのことである。飛行機から爆弾を投下する光景や繋留《けいりゅう》気球が燃え落ちる場面があるというので自分の目下の研究の参考までにと見に行ったのが「ウィング」であった。それから後、象の大群が見られるというので「チャング」を見、アフリカの大自然があるというので「ザンバ」を見た。そのうちにトーキーが始まるというので後学のために出かける。そうしているうちにいつのまにか一通りの新米《しんまい》ファンになりおおせたようである。
 いちばんおもしろいものは実写ものである。こしらえたものにはやはりどこかに充実しない物足りなさがありごまかしきれない空虚がある。そういう意味でニュース映画は自分にとって最もおもしろいものの一つである。たとえばマクドナルドとかフーヴァーとかいう人間が現われて短い挨拶《あいさつ》をする。その短い場面でわれわれは彼らがいかにして、またいかに、英国労働内閣首相であり、北米合衆国大統領であるかを読み取ることができるような気がするのである。世界じゅうの重要不重要な出来事を短い時間に瞥見《べっけん》することによって世界が恐ろしく狭い空間に凝縮されて来る。そうして人類文化の進歩の急速な足音を聞いているような気もする。
「ザンバ」のごとき自然描写を主題にしたものでも、おそらく映画製作者の意識には上らなかったような些事《さじ》で、かえって最も強くわれわれの心を引くものが少なくない。たとえば獅子《しし》やジラフやゼブラそのものの生活姿態のおもしろいことはもちろんであるが、その周囲の環境ならびにその環境との関係が意外な新しい知識と興味を呼び起こす場合がはなはだ多い。たとえばライオンと風になびく草原との取り合わせなどがそうである。このいかにも水に渇したように風にそよぐ草によって始めてほんとうに生きたアフリカのライオンが眼前に現われる。ジラフの奇妙な足取りはそれ自身にもおもしろいが、その背景の珍しい矮樹林《わいじゅりん》によって始めてこの動物の全生命が見られる。驚いて川に飛び込む鰐《わに》は、その飛び込む前に安息している川岸の石原と茂みによって一段の腥気《せいき》を添える。これがないくらいならわれわれは動物園で満足してよいわけである。それだからわれわれはもう少し充分にこれらの背景と環境とを見せてもらいたいのであるが、通例のフィルムではこれが惜しいように節約されている。そのためにせっかくのありがたい体験がややもすれば概念化される恐れがある。
 フーヴァーの演説にしてもそうである。当人の顔だけ写ってしゃべるのよりも、たとえば仮り小屋の壇上に立っておおぜいの老幼男女に囲まれているほうがいかにもアメリカの大統領になっている。周囲のアメリカン・シチズンスの不用意な表情姿態の上に反映したフーヴァーのほうがはるかに多くフーヴァーその人を物語るのである。半分はフーヴァーを写し半分は聴衆のほうにカメラを向けたのを撮《と》ったほうが有効である。
 こういう現実味からいうと演劇フィルムは多くははなはだ空疎なものである。プロットにないよけいなものは塵《ちり》一筋も写さないというのが立て前であるらしい。これは劇の性質上当然のことかもしれないが、舞台で行なわるる演劇とフィルム劇とは必ずしも同じでない以上、フィルムにして始めて生ずる可能性を活用するためには、もう少し天然の偶然的なプロットを巧みに生かして取り入れて、それによって必然的な効果をあげたらよくはないか。
 有名な映画「ベルリーン」のごときはかなりにこの意味の天然を生かしてはいる。早暁の町のアスファルトの上を風に吹かれて行く新聞紙や、スプレー川の濁水に流れる渦紋《かもん》などはその一例である。これらの自然の風物には人間の言葉では説明しきれない、そうして映画によってのみ現わしうるある物があるのである。「銀嶺」のごときは元来実写を主題にしたものであろうが、軒のつららのものうい雫《しずく》に悠久《ゆうきゅう》の悲しみを物語らせ、なべの中に溶け行く雪塊に運命の不思議を歌わせ、氷河の上に映る飛行機の影に山の高さを示揚させたりするのも他の例である。しかし写実を目的としない劇的映画にも、もう少し自在に天然を取り入れることはできないか。おそらくこれはいくらでもできる可能性があるのであろう。なんの映画であったか忘れたが東洋物の場面の間に、毒蛇《どくじゃ》とマングースとの命がけの争闘を写したものをはさんだのがあった。それはあまりたいした成効とは思われなかったが、しかしともかくも人間のドラマのシーンの中間に天然のドラマの短いシーンをはさんで効果を添えるということは、従来よりももっともっと自由に使用してよいわけである。
 これに対する有益なヒントはたとえば俳諧《はいか
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