スクリーンはたちまち第三次元の空間を獲得して数平方メートルの舞台は数キロメートルの広さに拡張される。遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然《こつぜん》として観客の頭の中に広がるのである。
音が空間を描き出すのは、音の伝播《でんぱ》が空間的であって光のごとく直線的でないためである。それがためにまたわれわれは音の来る角度を制限することができない。広い視野のうちから一定のわくによって限られた部分だけを切り取って映出するという光学的技法は音響の場合にもはや当てはめることができない。従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することによって発声映画は異常な能力を発揮することができるのである。たとえば探偵《たんてい》が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来るのに気がついて耳をそばだてる。歌がやんで後にその女が現われるとすれば、そこに特殊なモンタージュ効果を生ずる。あ
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