が映画家によって新たにもう一度発見され応用されるようになった。舗道をあるくルンペンの靴音《くつおと》によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙《かえる》や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。
このような音のモンタージュは俳諧《はいかい》には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む水の音」はもちろんであるが「灰汁桶《あくおけ》のしずくやみけりきりぎりす」「芭蕉《ばしょう》野分《のわき》して盥《たらい》に雨を聞く夜かな」「鉄砲の遠音に曇る卯月《うづき》かな」等枚挙すれば限りはない。
すべての雑音はその発音体を暗示すると同時にまたその音の広がる空間を暗示する。不幸にして現在の録音機と発声マイクロフォンとはその機巧のいまだ不完全なために、あらゆる雑音の忠実な再現に成功していない。それで、盲者が、話し声の反響で室の広さを判断しうるような微妙な音色の差別を再現することはまだできないのであるが、それにもかかわらず適当な雑音の適当な插入が画面の空間の特性を強調する事は驚くべきものである。通り過ぎる汽車の音の強まり弱まり消え去ることによって平面的な
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