ふ。成程あのガラ/\の音ぐらゐでは三百六十五日浚つて見たところで梓川《あずさがは》がたゞの一ト雨に押し流してくる砂泥をすくひ上げるにも足りないのではないかといふ気がするのであつた。兎[#「兎」は底本では「免」]に角この浚渫機械の小屋と土手は恐らくこの美しい上高地の絵の上にとまつた蠅か蜘蛛のやうな気のするものである。
 夜に入つて雨が又強くなつて梓川の水音も耳立つて強くなつた。突然強風が吹起こつて家を揺がし雨戸を震はすかと思ふと、それが急に丸で嘘を云つたやうに止んで唯沛然たる雨声が耳に沁みる。又五分位すると不意に思出したやうに一陣の風がどうつと吹きつけてしばらくは家鳴り震動する、又ぴつたりと止む。すると又雨の音と川瀬のせゝらぎとが新たな感覚をもつて枕に迫つて来る。
 高い上空を吹いてゐる烈風が峯に当つて渦流をつくる。その渦が時々風陰のこの谷底に舞ひ降りて来るので、その度毎にかうした突風が屋を揺るがすのではないかと思はれた。
 夜が明けても雨は小止みもなく降り続いた。松本までの車を雇つて山を下りて来ると、島々の辺から雨が止み、汽車が甲州路に入ると雲が破れて日光が降りそゝいだ。

 雨の上高
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