人よりも一層皮相的に見た物の姿をかりて、最も浅薄なイデオロギーを、しかも観者にはなるべく分りにくい形に表現することによって、何かしら大したものがそこにありそうに見せようとしている、のではないかと疑われても仕方のないような仕事をしているのである。これは天然の深さと広さを忘れて人間の私を買いかぶり思い上がった浅墓な慢心の現われた結果であろう。今年の二科会では特にひどくそういう気がして私にはとても不愉快であった。尤もその日は特に蒸暑かったのに、ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれが更に一層蒸暑く、その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵の方に打《ぶ》つかって行ったせいもあるであろう。実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという記憶のないのは不思議である。大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨《しゅうう》があって、それが晴れると蒸暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭《はげいとう》はおよそ天下に何事もなかったように真紅《しんく》の葉を紺碧《こんぺき》の空の光の下に耀
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