驚歎させられる。多くの画家は花というものの意味がまるで分らないのではないかという失礼千万な疑いが起るくらいである。花というものは植物の枝に偶然に気紛れにくっついている紙片や糸屑のようなものでは決してない。吾々人間の浅墓《あさはか》な智慧などでは到底いつまでたっても究め尽せないほど不思議な真言《しんごん》秘密の小宇宙なのである。それが、どうしてこうも情ない、紙細工のようなものにしか描き現わされないであろう。それにしても、ずっと昔私はどこかで僧|心越《しんえつ》の描いた墨絵の芙蓉《ふよう》の小軸を見た記憶がある。暁天の白露を帯びたこの花の本当の生きた姿が実に言葉通り紙面に躍動していたのである。
今年の二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見付からなかった。昔の絵描きは自然や人間の天然の姿を洞察することにおいて常人の水準以上に卓越することを理想としていたらしく見える。そうして得た洞察の成果を最も卑近な最も分りやすい方法によって表現したように思われる。然るにこの頃の多数の新進画家は、もう天然などは見なくてもよい、か、あるいはむしろ可成的《なるべく》見ないことにして、あらゆる素
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