しい陰をこしらえていた。通りがかりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を洗うたぬれ手ぬぐいを口にくわえて涼んでいる事がある。一日暑い盛りに門へ出たら、木陰で桶屋《おけや》が釣瓶《つるべ》や桶のたがをはめていた。きれいに掃いた道に青竹の削りくずや鉋《かんな》くずが散らばって楝《おうち》の花がこぼれている。桶屋は黒い痘痕《とうこん》のある一癖ありそうな男である。手ぬぐい地の肌着《はだぎ》から黒い胸毛を現わしてたくましい腕に木槌《こづち》をふるうている。槌の音が向こうの丘に反響して静かな村里に響き渡る。稲田には強烈な日光がまぶしいようにさして、田んぼは暑さに眠っているように見える。そこへ羅宇屋《らうや》が一人来て桶屋《おけや》のそばへ荷をおろす。古いそして小さすぎて胸の合わぬ小倉《こくら》の洋服に、腰から下は股引脚絆《ももひききゃはん》で、素足に草鞋《わらじ》をはいている。古い冬の中折れを眉深《まぶか》に着ているが、頭はきれいに剃《そ》った坊主らしい。「きょうも松魚《かつお》が捕《と》れたのう」と羅宇屋が話しかける。桶屋は「捕れたかい、このごろはなんぼ捕れても、みんな蒸気で上《かみ
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