この東京市民にいかに困難であろうかという事は、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても直ちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折ってお互いに電車の乗降をわざわざ困難にし、従って乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力を注いでいるように見える。もしこれと同じ要領でデパート火事の階段に臨むものとすれば階段は瞬時に生きた人間の「栓《せん》」で閉塞《へいそく》されるであろう。そうしてその結果は世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳口を聳動《しょうどう》するであろうことは真に火を見るよりも明らかである。このような実例の小規模なものは従来小さな映画館の火事の場合に記録されている。しかし人数の桁数《けたすう》のちがうデパートであったらはたしてどうであろう。
これに処する根本的対策としては小学校教育ならびに家庭教育において児童の感受性ゆたかなる頭脳に、鮮明なるしかも持続性ある印象として火災に関する最重要な心得の一般を固定させるよりほかに道はないように思われる。
現在の小学校教育の教程中に火災の事がどれだけの程度に取り扱われている
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