理論はぬきにして、試みにある一つの歌を一遍声を立てて、読み下した後に、今後は口をむっと力を入れてつぶって黙読してみるといい。あるいはもっと面白いのは口を思い切ってあんと開いて黙唱してみるといい。するとせっかくの歌の口調が消えてしまって「ムヽヽヽヽ」とか「アヽヽヽヽ」とかいう妙なものになってしまう。そこで今度は声を立てないで口を自由に且つ充分に動かして読む真似をしてみると、その歌の口調のあらゆる特徴が驚くほど鮮明に頭に響いて来るのである。その際における口のまわりの運動の仕事の大部分が何に使われるかと思ってみると、それは各種の母音に適応するように口腔の形と大きさを変化させるために使われているのである。そしてこういう声を出さずに口だけ動かす読み方では子音を発するに必要な細かい調節はよほど省略されている。云い換えてみると、ただ母音だけを出す真似をすれば歌の口調の特徴がかなりよく分るのである。
 それでもし各種母音に相当する口腔の形状大小を規定する若干の数量が定められれば、歌の口調というものはこれらの量を時間の函数として与える数個の方程式で与えられることになるので、従って口調というものの科学的研
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