ないようである。エピナスの古い考えはケルビン、タムソンの原子説を産んだ。デカルトの荒唐な仮説は渦動分子説の因をなしているとも見られる。植物学者ブラウンの物好きな研究はいったん世に忘れられたが、近年に到って分子説の有力な証拠として再び花が咲いたのである。実用方面でも幾多の類例がある。ガリレーの空気寒暖計は発明後間もなく棄てられたが、今日の標準はまた昔のガス寒暖計に逆戻りした。シーメンスが提出した白金抵抗寒暖計はいったん放棄されて、二十年後にカレンダー、グリフィスの手によって復活した。このような類例を探せばまだいくらでもあるだろう。新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼《よじん》から産れ出るのである。
現今大戦の影響であらゆる科学は応用の方面に徴発されている。応用方面の刺戟で科学の進歩する事は日常の事であるか
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