スが熱を物質視したためにエネルゲチックの進歩を阻害した事も少なくない事は史家の認める所である。あえて昔に限った事はない、現在でもそういう例は沢山あろうと思う。大家と称せらるる人の所説ならばずいぶんいかがわしい事でも過信されるのは日常の事である。甲某は何々のオーソリチーであるとなれば、その人の所説は神の託宣のように誤りないと思われるのが通例である。想うにこれらは権威者の罪というよりはむしろ権威者の絶対性を妄信する無批判な群小の罪だと考えなければなるまい。もとより一般から権威と認められる人がその所説を発表し主張するについては慎重でなければならぬ事は勿論であるが、如何なる人でも千慮の一失は免れ難い。万に一つの誤りをも恐るるならばむしろ一切意見の発表を止めねばならない。万一の誤りを教えてならないとなれば世界中の学校教員は悉皆《しっかい》辞職しなければならない。万一の危険を恐れれば地震国の日本などには住まわぬがよいというと一般なものである。恐るべきは権威でなくて無批判な群衆の雷同心理でなければならない。
 本当の科学を修めるのみならずその研究に従事しようというものの忘るべからざる事は、このような
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