の》みにしては消化されない、歯の咀嚼《そしゃく》能力は退化し、食ったものは栄養にならない。しかるに如何なる案内者といえども絶対的に誤謬のないという事は保証し難い。仮りに如何に博学多識の学者を案内として名所見物をするとしても、その人の所説にはそれぞれ何か確かな根拠はあるかもしれないが、それらの根拠を一つ一つ批判的に厳密に調べてみても一点の疑いのないという場合はむしろ稀であろう。歴史上の遺蹟や古美術品の案内や紹介ならばともかく、科学上の権威においてはそのような ambiguity はあり得べからざる事ではないかという人があるだろうが、不幸にして科学上の事柄でも畢竟五十歩百歩である。
 権威というのは元来相対的なものである。小学校の生徒の科学知識に対しては中等教育を受けた者は大抵は権威となり得る資格があるはずである。大学卒業者はその専門では先ず社会一般の権威となり得るはずである。物理学者と称せらるるものなどはその修むる専門の知識においては万人の権威であるべき訳である。しからばあらゆる大学教授の学殖はすべて同一であるかというに、そういう事は不可能であるが、同じ物理学の中でもそれぞれの方面にそれ
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