心を打ち明けるものである。
 科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者《うぐしゃ》の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。
 頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴なうからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸《しがい》の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。一身の利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。
 頭のいい人には他人の仕事のあらが目につきやすい。その結果として自然に他人のする事が愚かに見え従って自分がだれよりも賢いというような錯覚に陥りやすい。そうなると自然の結果として自分の向上心にゆるみが出て、やがてその人の進歩が止まってしまう。頭の悪い人には他人の仕事がたいていみんな立派に見えると同時にまたえらい人の仕事でも自分にもできそうな気がするのでおのずから自分の向上心を刺激されるということもあるのである。
 頭のいい人で人の仕事のあらはわかるが自分の仕事のあらは見えないという程度の人がある。そういう人は人の仕事をくさしな
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